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20年ぶりの「ヒトカゲ、君に決めた」

1996年の夏、わたしは6歳で、小学1年生だった。

宿題やってくる、って親に言い訳しながら、友達の家や近所の公園や児童館にゲームボーイ片手に集まって、ポケモンのレベル上げにいそしんだり、近所の年上のお兄ちゃんにどうしてもここから先にいけないんだよ~って泣きついたり、同じジムリーダーに何回も挑戦したりしてた。チューペットをくわえて濡れた手でAボタンを押す、通路なんだからここで集まらないどきなさい、って怒られる。

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……まさか20年経って同じことをしていると思わなかった。思わなかったよ。
2016年7月22日、ポケモンGOが存在する世界がはじまった。


22日は朝から歌舞伎座で「七月大歌舞伎」を観ていて(市川海老蔵さん、本当に本当に格好よかった)午前中からリリースの喧騒は横目に見ていたけど、歌舞伎座の場内は集まる皆様の年齢層もあって至って静かだった。誰もポケモンゲットしようとしてなかった。今思えばぽっかり隔離されたようでおもしろかった。

終演して、公演の感想もそこそこに、一緒にいた同世代の友人と即インストールした。彼女は北海道で、わたしは神奈川で、まったく違うところで育ってきたけど、あの頃ポケモン151匹全部を空で言えた記憶は共通だった。「最初の子、どうした?ゼニガメにしようかな」「ヒトカゲ、迷わずヒトカゲ」ーーそうです、「ヒトカゲ、きみにきめた!」。20年前といっしょだよ!!


操作方法もよくわからないまま、銀座の街に出て2人で歩く。最初に向かったポケストップは「歌舞伎座楽屋口」だった。「え、ここでポケモンが出てくるわけじゃないんだ」「アイテムだけなんだね」「歌舞伎座、伝説のポケモンいそうなのに…」「楽屋口から出てきたらアツいのに!」

早く東京の街でポケモンに会いたい。そわそわする。「あ!!!コラッタだーー!!!!!」「え、どこ!!!」平日の銀座のどまんなかで昼下がりに騒ぐ女2人。銀座でネズミが出るっていうのが最高にクールだな、と思う。

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東銀座から銀座に歩く。死ぬほどポケストップがある。くるくる回るマークをタップして紫にひっくりかえしていく。ポケモンが出るたびに叫んで立ち止まるので全然進まない。

「ポッポ、AR画面で見ると普通に鳩」「ズバットきた!」「ラッタ怖いんですけど…コラッタちゃんはかわいいのに…」「パラスとかヒトデマンとかこんな都心の水がないところで生きていけるの!?」「ズバットまたきた」「イーブイかわいいいいいい!!!こっち向いて!!!」「キャタピー進化させたくなる」「……いや待って、またズバット?多くない??」

めちゃくちゃ楽しい。歌舞伎座から銀座・有楽町までの道なんて、もう何回も何回も歩いてるのに、ポケモンを捕まえながら歩くだけで景色が一変した。隣の子と一緒にわーわーできるのが本当に楽しかった。コイキングオニスズメ、ニドラン、ナゾノクサコダック、アーボ、トサキント……その熱意を違うものに向けてよ!という親や先生の声を聞き流しながらいつのまにか覚えていた151匹のポケモンの名前、今でもシルエットだけで出てくるくらい染み付いていることに驚いた。高校生の頃に学んだ元素記号も日本史の年号も覚えてなくても、6歳でインプットしたポケモンの名前は口に出てくる。ポケモンGOの爆発を前に「クラスで大流行してるのにせがんでもせがんでも親に買ってもらえなかった記憶を思い出して辛い」という気持ちもわかる。それくらい共通言語で、コミュニケーションだったなあって思う。

あの頃の未来が今だってこと、ゲームの中に繰り広げられていた体験が現実になったこと、すごくない?すごいよ。都会のど真ん中で泣きそうになった。駅前で、公園で、飲み屋で、みんなポケモンの話してる。隣に立ってる人の画面をそっと見て、ほんとにそこらじゅう、みんなやってるなあ、ってため息をつく。ポケモンがいっぱい描かれたハンカチを2枚お道具箱に潜めて、毎日休み時間に取り出して、友達何人かと囲んで自由帳に模写していた日々よ!

ポケモン世代ド真ん中だったこと、一緒に育ってこれたことは本当に幸運だった、と思ったの、今までも何度もあったけど、なんだか妙に誇らしい。愛して信じてきたものは嘘じゃなかった。バブルがはじけてから生まれたわたしたちは、ゆとり世代学力低下、終わらない不況、少子高齢化……って何十もの言葉でさんざんかわいそうがられてきたけど、わたしたちの側にはポケモンがあったんだよ。いいでしょ。楽しかったんだよ。

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わたしや弟が監視の目をかいくぐってポケモンぷよぷよゼルダやスマスマやFFをやりまくってる(遅くまで起きていると怒られるので超早朝にこっそり起きて時間を捻出する)のに眉をひそめて「いい加減にしなさいよ」と小言を言っていた母も、この騒ぎに乗じて、使い始めて数ヶ月のiPhoneポケモンGOをインストールしたらしい。「庭にゼニガメいた」と写真が来る、今何匹?と質問される、「レベル4になった。早くジムに行ってみたい」という報告が来る。なんだか、世界が、ぐるっとまわったと思った。少なくともわたしの世界は。こちら側へようこそ。来てみてくれてありがとう。


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きれいなお姉さんの手の内で泳ぐトサキント

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かわいい女の子とじゃれあうコダック

今夜も、知り合ってからもう人生の半分くらい経つ友人とお酒を飲んだあとに渋谷をきゃあきゃあ言いながらポケモン探しながら歩いた。なんて素晴らしい夏休みの夜!お酒が飲めるようになって、こんな時間にこんなにもうるさくて明るい場所を歩けるようになったけど、いろんな感情の源泉はもしかしたらあんまり変わってないのかもしれないな。

ゲームとしてはすぐに飽きるよ、とかそんなのはどうでもよくて、とにかく、こうやって地続きでポケモンを捕まえられる世界が実現したことそれ自体が幸運で幸福で楽しくて未来だってドキドキする。ハッピーだ。あの頃のわたしに教えてあげたい。いや、やっぱり教えなくていいや。君が白黒の小さな画面の中に見ている景色だって完成されてる。

大人になるって、長く生きるって悪くないなって思った。1度愛したものを、形を表現を変えてまた愛せる可能性があるってことなのか。TLで「まだ1匹しか捕まえてないけど、小学生の頃の『ポケモンやらせてもらえなかったわたし』が成仏した気がする」というツイートを見て、ああ、と思った。その時手が届かなくてももしかしたらいつか。

20年後、どこで何をしてるんだろう。どんな未来が現実になってるのだろう。世界は絶対に毎日進化してるって思うし、わたしはテクノロジーのちからを超超超信じてる。

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