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ミュージカル『イリュージョニスト』

今さらにもほどがあるけれど、このクソみたいな2021年における強烈な光の記憶としてこれだけは書いておかなければならない。

1月27日、ミュージカル『イリュージョニスト』を日生劇場に観に行った。演出はトム・サザーランド。世界初演。ありえないほどのいくつもの困難を乗り越えて迎えた初日。

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作品が発表されたのは2020年6月だったようだ。大好きな愛希れいかさんが出るし、他のキャストも実力派ばかりだし、何より世界初演!!のわくわく。しかし、新型コロナの影響はいつまで続くのか…という気持ちもあった。この時点では上演は年末12月の予定で、それまでには世界は元に戻っていればいいな、きっと戻っているだろうと思った(甘かった)。

1ヶ月後、衝撃的な訃報があった。当然、頭によぎった。イリュージョニスト、どうなるんだ。

11月になって続報があり、キャストを変更すること、公演は1月後半と少し延期になることが発表された。長い沈黙のなかでいろんな人がいろんなことを考えたんだろうと思った。とにかくやるんだ、前に進むんだ、って意志を感じた。

12月、お稽古がはじまった報告があった。と思ったら、キャストやスタッフに新型コロナ陽性者が複数人出たという悲報があった。稽古は中断になって、当初の演出プランを変更し、演出やセットを簡易的にした「コンサートバージョン」に切り替えるとされた。暗雲。

年末にかけて東京の感染状況はガンガン悪くなっていった。「勝負の3週間」とかもはや懐かしいね(なんだったのか!)。年が明けたら1日の感染者数は2000人の大台を超え、緊急事態宣言が出た。

ただでさえ初演の作品、ニューヨークやロンドンのクリエイティブチームは来日できていないわけで現場は超大変であろうことは想像できる。これ、で、できるんか…?ただチケットを持っているだけの立場なのにハラハラした。

1月14日、10日程度を予定していた公演期間を3日間、5公演のみに縮小するという報があった。

たった3日、たった5公演。採算度外視だとしか思えない。感染対策的にも興行的にも、もしかしたら演者の精神的にも、もはやスパッと中止してしまった方がいい面もあったのだと思う。それでも、形を変えてでも、完璧じゃなくても、とにかく幕を開けることを選んだ必死さに胸がぎゅっとした。

正直行くか迷った。今外に出るのもなんか…という気持ちもそもそもあったし、当時あまりにも自分に元気がなく、欠けていることを知って見るのはしんどくなってしまうかもしれないと思った。いつか完璧な形で上演されることを信じて待つのも今の自分のメンタル的にはありだなと思った。

でもいろいろ考えて行くことにした、初日のチケットを取り直した。

目撃

久々の日生劇場は相変わらずいい劇場で、でも空気はものものしかった。厳戒態勢な上、ちょっといつもの観劇とは違うピリピリ感があった。開演前の、鋭い沈黙がすごかった。「楽しみだね〜」という無邪気な空気じゃなくて、「今からこの舞台の上で起こることを見届けてやる」というギラギラした無数の熱があった。

休憩なしの2時間ぶっ続け。すごかった。観劇というより「目撃」という感じだった。

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コンサートバージョンとは一体?だったけど、もうこれはこれでひとつの演出形式としてありでは?と思わせられるくらいの完成度だった。

舞台の真ん中の少し高くなった空間に、場面ごとにキャストが入れ替わり立ち替わりやってくる。セットがないからこそ想像の余白があって、ミステリアスなこの作品にすごくあっていた。キャストの熱の入り具合もすごくて、曲も荘厳で格好よくて……なんだか本当によかった。

海宝直人さんはいやはや歌声が最高すぎた。この作品の楽曲にとても合ってた。奇術師・アイゼンハイムのとらえどころのなさ、目で追ってしまう魅力が出ててすごくよかった。いや本当に本当に本当に大変だったろうな。どんな苦労の中でこの役を完成させたんだろう。……めっちゃよかったです。

愛希れいかさんのソフィーはソロの曲が超〜〜よくて泣いた。ドレスの着こなしが一級!大好き!あと平手打ちが似合いすぎる(?)。ちゃぴさんって宝塚時代からビンタする役多くないですか?気のせい!? ビンタの仕方が美しいというか、表情と佇まいがキッとしてて好き。ありそうでなかった役ですごくおもしろかったな。また絶対演ってほしい。

成河さんがモラハラ気味の皇太子役をやるのはさ……絶対いいじゃん。いいに決まってるのよ。冷酷で偉そうで性格悪そうで最悪に最高でした。もともとのキャスティングで海宝さんがやってたらどんな感じだったのか気になりすぎる。

濱田めぐみ様は、大きなハットにナポレオンジャケットにパンツの衣装だけで1000点。ジーガ、見た目から大好き。歌も最高。

栗原英雄さんは安定感と安心感しかない…。周りが華やかな中でずうっと渋くあるのが逆にスパイス。歌も最高。

そして生オーケストラのパワーがありすぎてビリビリきた。あ、これだ。これが足りなかったんだ。と思った。久しく浴びていなかったから、体が生き返っていく感じがした(まじで!!)。普段はオーケストラピットの中にいる楽器隊のみなさんが、こういう演出だからこそ舞台の中央奥に鎮座していて、真ん中から音が飛んでくるのも新鮮かつ幸せだった。楽しい………

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というわけで、2時間あっというまに終わった。

販売数を制限していたので満席でない日生劇場だったけど、拍手の音はものすごく大きくてみんなの思いを感じた。これは客席と舞台の上合わせて「みんな」だ。

雑談する暇もなかった

つい先日、海宝直人さんのオンライントークイベントの配信があって、ゲストは愛希れいかさんで2人でイリュージョニストの話もしていた。

相当な場数を踏んできているはずの2人が「イリュージョニストは本当に大変だった」「大変だったね」と何度も何度も何度も噛み締めていて、その厳しい過程を改めて感じた。「いつもは共演者の人と雑談するけどそんな暇は全然なかった、ずっと役の話をしていた」って。ただでさえ初演の作品はやることが多いだろうに、それだけじゃなかったもんね。

初日、初演の前は異様な緊張感に包まれていたと本人たちも言っていて、そうだったよねやっぱり、となった。愛希さんは幕が上がるまでにいろんな壁がありすぎて「『もうやめて楽になりたい!』って気持ちと『何がなんでもやり遂げたい』って正反対の気持ちが交互にきた」(ニュアンス)と言っていた。

あとトム・サザーランドがソフィーの役を"manipulate"(操る、巧みに操作する)と説明していたっていうのがよかった。そして「本当に"チェンジマン"だった!」って話。直前までひたすら変更、変更、変更、だったらしい。Zoom越しでそれはすごい。

あんなにずっと一緒にいたのにようやくゆっくり話せた、と笑う2人の配信を見ながらこのブログを書かなくてはとなったのであった。海宝さんちゃぴさんありがとう。

最後にこれはどうしても言いたいけど………やっぱり私は三浦春馬さんのアイゼンハイムがめっっっちゃくちゃ観たかったよ!!!彼ならどんなイリュージョニストになったんだろう。出演者もスタッフもみんな、深い深い愛と悲しみを抱えて、血のにじむ思いで幕を上げたんだと思う。そういう情念があった。

結局使われることはなかった最初のポスターがすごい好きでした。主演もヒロインも顔を隠すというかっこよさ。しびれるね。

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エス、全てにイエス。何にでもイエス

最後に、脚本家のピーター・ドゥーシャンがNY Timesに寄稿した「イリュージョニスト」初日に向けてのエッセイの和訳が公式サイトで公開されているんだけどこれが超よい。泣いちゃう。ぜひ読んでほしい。

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何があっても、この公演を実現したいと私は考えていた。私が関わっている作品のうち既に、2020年に予定していた地方公演が2つ中止になった。1つ目は脚本を手掛けたミュージカル、もう1つは脚本の監修を務めていた作品。この追い込まれた業界で働く多くの人と同じように、たとえ小さな欠片でもいいから、私も何かしらの成果を残したいと、必死になっていた。

7月18日、朝起きると一通のメールが私のもとへ届いていた。30歳の若さで、三浦が亡くなったと日本のメディアが伝えた。カンパニー全体がショックを受け、悲しみに包まれ、どのように進むべきか、果たして進むことができるのか悩んだ。

これまで、私は「ショー・マスト・ゴー・オン」に対して懐疑的だった。許されないような労働行為を許容するよう、労働者を強制する言葉のように感じていたからである。しかし、今回はこのフレーズの中に、真剣な思いを感じていた。演劇とは、本来、コミュニティのものである。今辞めてしまうより、公演に関わる全員が集結し、上演することの方が、少しでも癒しになるはずだ。諦めることで、一体何を得られるのだろうか?

そして、プロデューサーたちから、いくつもの質問が飛んできた。東京で隔離期間を過ごすことはできるか?どれくらいスピーディーに日本領事館に行くことができるか?(救いの手が伸びた:日本が就業ビザを許可しはじめた!)作品の幕間休憩をカットしてもいいか?(お手洗いでソーシャルディスタンスをとるため、休憩が長くなってしまう。)スケジュールをずらすことは可能か?公演期間を短縮することは?

エス、全てにイエス。何にでもイエス。何が何でも上演をしたい。

信頼のおけるいつものZoomで、私は1月27日の初日公演を観劇した。カーテンコールでは、喜びと安堵で役者たちは嬉し涙を流した。終演後、プロデューサーの一人がスマートフォンを持ち、各楽屋を歩き回り、私たちもキャストに思いっきり祝福を浴びせることができた。


スクリーンというフィルターを通しても、舞台裏の歓喜と興奮を感じとることができた。7000マイル近く離れた場所からでも、私は公演初日の高揚感を経験した。再び演劇を作っている、作品を上演している、と。