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アラサーの教養としてスピリチュアルデビューしてきた

アラサーの嗜みといえばスピリチュアルなんですよ。
いつからかわかりませんが、そういうことになってるんです。

……というわけで、オーラ・リーディングにいってきた。オーラ! その甘美な(そしてうさんくさい)響き!


大好きなおねえさんが「オーラを読んでもらった」って言っててそれだけでめちゃくちゃ気になっていたのですが、よく聞いたら前世は男色の浮世絵師だとか中国の女帝だとかぶっ飛んだことを言い出すものだからあまりにおもしろすぎて、いつかわたしも人生経験として(訳:酒の肴にすべく)行かなきゃ!と、ずっと思ってた。とはいえ、結構なお値段するのと、何よりやはりスピリチュアルな霊言を敬虔に拝聴するイタさ(ってあえて言うけど)に微妙な抵抗があって教えてもらったサロンのWebサイトをブックマークに登録するだけで止まってた。

そこから数ヶ月のあいだに、まぁいろんなことがあったのだ。予期せず。オンでもオフでも。いろんな意味で人生に迷いすぎてお先真っ暗な上に仕事が大変に忙しい時期が重なって、呼吸も眠りも浅すぎる時期を乗り越え、ようやく人間らしい感情を取り戻して一段落したところで思い立ったのであった。「今だ、たぶん今こそオーラ読んでもらうべき」。


オーラ・リーディングとはなんぞやというと、人間を取り巻くエネルギーの色や様子を読んでもらう行為です。いろいろ突っ込みたいところはあるでしょうがこれ以上の説明はいたしません。今回おうかがいしたた先生(って言い方で正しいのだろうか)の流派では、人間のオーラには7層あってそれぞれ最大3色で構成されてる、とされている。占いではなく思考・感情分析、行動特性の要素の洗い出しみたいな感じで、未来を予知とかはしてくれない。あと基本的によい面を見たアプローチ。脅すようなことは言わない。行く前はどんな顔してればいいのかめちゃくちゃ不安、というかこんな歪んだスタンスで足を踏み入れていいのかと思ってたんだけど、めっちゃ、楽しかったです。90分楽しみまくった。


正直言って自分が言われた内容を書いたところで他人にはまったくおもしろくないわけだけど雰囲気が伝わるように少しだけ書いておく。こう書くとすごい適当っぽいけど実際にはもう少し、なんというか、それっぽかった。友人各位はもっと聞きたかったら直接聞いてください。

  • 現世で一番強く出ている過去線は「日夜歌い続ける原始時代の沖縄の巫女」
  • 「人間の要望を神様に伝える役目だったんですが、どんどん要求が大きくなっていくわがままな調整に四苦八苦してて、そのうち神の怒りをかって島ごと沈没しました」「(何その全然神々しくない中間管理職……)」
  • 「何代か神職で転生したものの、日常に起伏がなくてつまらないので俗世に降りてきたみたいです」
  • 自発的な欲望や情熱がうすくて、外からの刺激で動いてるので、好きなものをどんどん増やしていかないと精神が死にます
  • 感受性的な意味でPA機能が発達してるのでいろんな創作物や表現を一気に浴びてもわりと処理できる
  • 唾液の分泌が少ないのでよく噛んで食べましょう(いきなり具体的になってびっくりした笑)
  • 「正直別に悩みとかないし結構幸せなんですよね~」「そんな感じですね~」(はい)


「まぁあの頃巫女だったから仕方ないな~」ってたいていのシーンで使えそうだし(?)今後の人生に便利でよさそう。巫女、キャッチーですごい気に入った。現世では死ぬほどミーハーに生きてるので「日常に起伏がない」と仰せの過去の魂を供養できるようますます頑張っていきたい。あと「よく噛んで」は本当にそうなので、医学的にもそう言われているので、笑ってしまった。オーラでこんな具体的な身体面まで言ってくると思わないでしょ。それから、関係を読んでほしい個人名を出すと2者関係を見てくれるらしくて、同じセッションを体験済みの友人知人はその「なるほど」感がおもしろかったと言っていた。わたしはそんなことできるなんて知らなくてお願いしなかったのですが。時間は結構たっぷりあるのでその時の悩みや聞きたいことに応じていろいろその場で質問できる。

聞いたこと全部メモったらA4の紙何枚にもなるくらいになってすごいおもしろかった。自分が普段ぐるぐると答えなく考えている自分のことを他人がガリガリ言葉にしてくれるの気持ちがよい。それが例え詭弁だとしても。

……そう、ここがポイントで、占いも含めて、結局それが真実かどうか根拠があるかどうかって実は関係なくて、言語化されて何かがスッキリした感覚を得るのが大事なんだな!って思った。言葉では納得できるけど、行って聞いて初めてわかった。友達に愚痴ったら返ってくる言葉とかじゃなくて、もっと漠然と、自分の今までの人生でまったく接点のない人から投げられる言葉だからおもしろいんだな。


わたしは意地悪な人間なので、申し込む時のメールアドレスは普段使ってないやつにしたし(検索してもSNSとかと結び付けられないように)いろいろ言われてる間もあえて自分がこれかな?って思う方向とあえて違う方にハッタリかましてみたりしたけど、それでもわりと「わたしにはわかる」表現でいろいろ言ってくれるので、おお~、ってなった。だから全部信じる!とかじゃないんだけど……。とはいえ、よく考えるとある程度はうがった姿勢ではいるけど、わりとピュアに信じてる部分もあるかもしれない。人間の科学でこの世のすべてが解明されてるってことはないだろうし、自分には感知できない視野や周波数のようなものもあってもおかしくないのでは?って思ってるところはある。


しかし、自分について自分で深めてくことになるから、結構質問力が問われてスリリングだった。アイドルの握手会では好きな女の子について知りたいこと聞きたいこと喜んでほしいことを一生懸命考えるけど、自分に対して真正面から考えたり言葉にすることとか別に正直ない。漠然と考えてたとしても、その自己分析を他人にぶつけることは全然ない。なので、そういうチャンスとしてもなかなか勉強になった。時間もったいないし何かぼんやりしたことでもいいから糸口を……と思ってぺらぺらしゃべりだしたら、あ、確かにそういう時いつも微妙に引っかかってるわ、って話しながら気付いたりする。思考のプロセスとしてはブログ書くのに似てるな~ってちょっと思った。ブログも、書きながら「そんなこと考えてたのか」って自分でなる。

あと、最終的に印象に残るのは自分で納得できる部分なので(そりゃそうだ)自分を語るあるいは理解する言葉のパズルのピースが手に入ってよい。なるほど~そう表現したらいいのか!ってなる。結局どう言われようと自分の解釈なので。外からのある意味無責任な言葉と、自分の中にある感覚と、バランスをとって消化できる精神状態であれば結構楽しいイベントだと思う。


というわけでアラサーの教養、楽しかったです。でもスピリチュアル、ハマると危険そうだというのもなんとなく身体でわかった。外から言葉にされていく気持ちよさ、求めすぎると怖いな。思考力が弱っていくというか「そういうことか」で終わらせてしまえる展開も容易に想像つく。

……そう思うと、Twitterで「よくぞ代弁してくれた!」を束ねてRTやふぁぼで義憤を晴らしたり正義をふりかざしたりするのも構造的にはスピリチュアル的な気がしてきた。程よく取り込むと自分の考えも深まって気持ちよいけど、ずぶずぶと共感できるもの(あるいは真逆に、糾弾できるもの)を探すのにハマっていくと徐々に盲目になっているように見えるし、自覚はなくても周りから見ているとこわい。誰かが先回りして言葉にしてくれるといい意味でも悪い意味でも乗っかりやすい。