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インターネットもぐもぐ

インターネット、おなかいっぱい食べましょう




18歳から22歳までの4年間で(かろうじて)わたしが学んだこと

2011年春学期がはじまって4年生になった。もう4年か。どこにいっても最高学年だ。
1年生の飢えたような目を見て今年も同じように、楽しい大学生活になればいいね、まだまだ先は長いぞ、と思う。
もう同学年以外は後輩しかいないわけで、数年前の自分を振り返って今思うこと書いとく。
「まだ1年生なんだ!えらいね!」と言われ続けてたときとはずいぶんいろいろ変わったわけで。
多分あと1年後のわたしは今この感情をすっかり忘れていると思うから、自分への忘備録。大学卒業したらまた“1年生”に戻るんだもんね。後輩たちへのアドバイス…と言えるほどのことでもない、あくまで個人的な経験則です。


1.興味関心・やりたいことなんて変わる
2.すごい人と会って話してる俺、は別にすごくない
3.顔と名前を覚えてくれてる先生を増やすこと
4.自分のことは自分で説明しなきゃ誰もわかってくれない
5.ちょっと緊張するけど正直に相談できる年上の人を見つける
6.丁稚をする、弟子になる
7.誘ってもらう引力


1.興味関心・やりたいことなんて変わる
無理して保つ必要もないし、むしろ変化の先を見つけていくためにある時間だと思ったほうがいい。
後輩たちは本当にしっかりとしていて感心する。高校生の頃から「自分のやりたいこと」をハッキリと言葉で具体的に明示してきたんだなって思う。でもそれに慣れすぎるのは多分ちょっとこわい、と自分のことを振り返る。言葉にすることで内側から縛られる局面って、意外にある。
あくまでその時点で嘘をついてなければ、正直に考えて言語化したものであるならそれでよくて、今後ずっと貫かないといけないことなんてない。むしろ環境も付き合う人も変わって自分の内面や考えてることが一切変わらなかったら変じゃない?
明るいところに暴いてしまうこと、スッキリとさせてしまうことは必ずしも絶対善じゃない気がしてる。自分が「興味」だと思って範囲を決めて塗り上げてきた枠線の縁、色のにじんだ部分や混ざった部分こそきちんと意識して見た方がいいように思う。
わたしは「自分の軸」って言葉があんまりすきじゃなくて、「核」の方がまだ実感に近い。「興味がたくさんあって選べないんです」という後輩はたくさんいるけど、それは幸福なことだから大丈夫。スペシャリティを身につけることは本当にすばらしいことだと思うけど、がんばって選びとる、というより、「残っていく」感覚だし、中途半端になることを極端に恐れないでかじってみたらいいと思う。一見関係ないものでも、本当に自分の意志でそれを選んでいる限り絶対に共通点はある。それは一本縦に通ったもの、というより、ある「核」から放射状に広がっているもの、それをつなげていく網の目の貼り方、って言い方のほうがストンとくる、と個人的には思う。


2.すごい人と会って話してる俺、は別にすごくない
大学で授業を受けたり学外で講演を聞いたりすると、テレビや雑誌で出てくるようなひとだとかその業界での有名人だとか、もしくはさほど年齢は変わらないのにうらやましいほどの能力がある誰か、に会う回数がすごく増える。高校までの世界と比べて圧倒的に広がって興奮した。その分、焦燥感に駆られることも増えた。ああなんて自分は平凡なんだろう。
すごい人と会う、すごい人と話す、のはとても幸せだ。恍惚感すらある。尊敬できる人に出会えるのはとてもいいことだし、たくさんの人の話を聞いて、できるなら話して、どんどんいろんなことを吸収したらいいと思う。ただ、「誰々に会った自分」というアイデンティティにしちゃいけない。
「普通の同級生には興味ありません、すごい人と友達になりたいんです」というなにかのラノベに出てきたような台詞を、明言しないにしても感じている人は(別に新入生だけじゃなくて)わりと多いのかもしれないのかもしれない。でも、圧倒的に「平凡な」人の方がこの世界には多いし、その平凡さから目を背けたら、多分何かが死ぬ。だってあなたは平凡だから。
私自身はいろいろタイミングがよくて、入学して2ヶ月もしないうちに、人生のどこかで会って話がしたいと思っていた人と会う機会が与えられてしまった。ある意味、ゴールしちゃった。会いたかっただけだったなあ、ほんとに、とあとから気づいてちょっと愕然とした。
「考えさせられました」「刺激になりました」という言葉を簡単に使うのはあんまりよくないと思う。それで片付けちゃだめだ。刺激や変化を外側に求めるのは大事だけど、外側に“だけ”求めてちゃつまらなくなるし、いろいろ見失う。


3.顔と名前を覚えてくれてる先生を増やすこと
大学を楽しくするコツのひとつはこれだと思うんだけどな。友達を作ることも先輩と仲良くすることもサークルでいろいろやってみることも大事だと思うけど、大学には一回り以上年齢が上の人生の先輩たちがせっかくたくさんいるんだもの。
この先生すきだなあ、って思える人を見つけて、しっぽを振って近づいていく努力。講義のあと質問をしたり、ゼミの見学に行ったり、研究室に遊びに行ったり(他の大学でそれがどのくらい気軽にできるのか知らないけど)して顔と名前を覚えてもらえるようになると楽しい。背筋が伸びます。ゼミの先生、以外におしゃべりできる人が何人もいていいもんね。
人が出て行くことと入ってくることが規則的に半永久的に繰り返される「学校」って、変な場所だよなあって思う。ともすればループの中で霞む。


4.自分のことは自分で説明しなきゃ誰もわかってくれない
面白いことや人に出会うためにまず最初に必要なのは、自分の情報を開示することです。
今何に興味があって、最近どんなものがおもしろいと思って、これからこんなことがしたいと思ってる、を、具体的でなくてもいいから口に出せると強い(ただし独りよがりだとうっとうしい)。なんちゃら大学のなんちゃら学部の人なんて何百人もいるんだからその名前によっかかってちゃ誰も覚えてくれないしわかってくれない。じゃあこんな人紹介するよ、とか、こんなことがあるよ、とか声かけてもらうためには自己紹介をきちんとできないとだめなんだよね。これは意外に難しい…苦手です。
人に話を聞かせてもらうときだってそうで、「あなたに興味があります!」はラブコールとしてもちろんすべきなんだけど、「なんであなたに興味持ったのか」をちゃんと伝えた方がいいと思う。ずっと質問攻めにされるのはあまり愉快な気分ではないもの。話す側としても、できるなら興味持ってくれることを話したい。


5.ちょっと緊張するけど正直に相談できる年上の人を見つける
わたしの話を聞いて誉めたり呆れたり適当にあいづち打ったり、そのくせ最後は「まぁ自分で決めるしかないけどね」って当たり前の結論で突き放してくれる10歳くらい年上の人が数人いることは個人的にとてもよかったなって思ってる。3ヶ月に1度くらい会う人も、ぜんぜん会わない人もいる。
ゼミの先輩でもサークルの先輩でも大学の先生でもバイト先の上司でもTwitterで仲良くなった人でも、なんでもいいと思うけど、友達よりは遠いし環境も違うけど正直に自分のことを話せる人、がいるとちょっとだけ気持ちが明るい。他人に判断してもらうというわけではなくて。むしろ自分の中での確認作業のため。
いつもより少しだけ丁寧に、考えてることを言語化する練習。そのうえで、上手に質問を返してもらってよりもやもやをクリアにしていくプロセスをつむこと。
自分の中で考えてるだけと、誰かに伝えようと思って声に出すことはまったく違う。音にすることで強まることもあるし、自分では確信を持って考えてたことでも、口に出そうとするとなんだかすっと出てこないこともある。話しながら、ああこんなこと考えてたのか、ここが本質だったのか、と気付くことだって多い。この、思考にやすりをかけていく感じは気心がしれている友達に向けてやるときとはちょっと違う気がする。


6.丁稚をする、弟子になる
「大人の本気ってすごい」、を大学生になってから知った。高校生の時までの自分は斜に構えてたので世の中の仕組みも価値の発揮の仕方もよくわかってなかったのだけど、ちゃんと敬意を持てるようになったのはそんなに前のことじゃないなって思う。先生と生徒、じゃなくて、一緒に働く、という関係は全然違う。
尊敬できる人、すごいなあと素直に思える人の側で、自分だめすぎだろ…って自信失いつつドキドキしながら働く経験を幾度か持ててよかった。今までのバイト先、普通にタウンワークで見つけて応募したのもあるけど、先輩や知り合いに誘われたり、著書を読んで「バイトさせてくれませんか?」って直接いきなりメールを送ったりしたこともあった。
外から見てると華やかでイノベーティブで熱意があって毎日楽しくてアドレナリン出まくりそうな仕事でも、最終的なアウトプットの前の段階は地味なことばっかりだ。100%楽しいだけの仕事なんてない。むしろ「地味な部分こそ愛せるか」がすべてだと思うし、そう思える何かこそ「向いてる」ってことだよね、と当たり前のことがわかった。丁稚になってひたすら観察すること、何も出来ないことを受け入れて見よう見まねで手を動かすこと。下積み、とはちょっと違うような気もするけど。
消費者として見える以外の、裏側や構造を垣間見れるのはとても貴重なので、バイトはいろいろやってみたらいいと思います。わたしは、そうだなあ、今は、古書店とか古雑貨店が知りたい。仕組みが知りたい。


7.誘ってもらう引力
偶然を発生させる力、本当に大事だと思う。「これ手伝ってくれない?」「いっしょにやらない?」って言いやすい人とそうじゃない人はいる気がする。
「自分が興味があることはこれです!」って変に決めつけてしまわないで誘われておもしろそうだなって思ったらふらふら出かけてみる。そこで面白い人と会ったり、なんだかやる気上がったり、することはたくさんあります。行ってみてつまんないなーって思うこともそりゃあるんだけど、じゃあ自分はどこに「つまんない」を感じてるんでしょうね、って観察する時間になるので、意味ないってことはない(と思ったほうが精神衛生上絶対にいい)。結局差異でしかものは認知できないんだよなって、最近よく思う。決して悪い意味ではなく。〜よりは好き、〜よりは得意、〜よりは気分がいい、そういう比較対象を増やしていくプロセスが永遠に続くんじゃないかしら、と。


今の時点で好きだとか得意だとか思ってることってほんとに現時点でしかないし、3年前のわたしが考えてることと今のわたしが考えてることって全然違う。そして3年後もまた違うんだろうって思う。振り返って「ぎゃー恥ずかしい!青い!若い!死ぬ!」ってかき消したくなることたくさんあるけど、むしろそれがなかったらその時間なにしてきたの、って感じな気がする。「黒歴史」がないひとなんてつまんないじゃんね。


大学生活も(うまくいけば)あと10ヶ月です。毎日愉快ですね。