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インターネットもぐもぐ

インターネット、おなかいっぱい食べましょう




「使うと創る」、「サービスとプロダクト」、それから「クリエイティブ」

なにも結論はないですが、こういう角度でモノを考えてみたよ、という程度に。


インターネットがすきだ。すごくすきだ。
ネットだけは奪わないで、と思う。
小学生の頃からネットしまくってきた。パソコンと顔を突き合わせている時間の方が長かったかもしれないや。
わたしたちは「デジタルネイティブ」世代なのかもしれない。
でも、わたしは、何も作れない。完全にユーザー(というより、消費者)でしかない。
新しいサービスやポータルサイトに飛び込んでわくわくしてきただけ。


さて、ここ最近は「クリエイティブ」ってなんだ、ということをずっと考えてた。


まずはこれ(ちょっと前だけど)

>でも、その企画の最後に、ニコニコ動画のそんな世界が、
>新しい表現というものが出尽くした時代における、僕たちの世代のクリエイティブなんです、
>ということが描かれていた。
>僕やその上司からみれば、それは「クリエイト行為」ではなくて、
>できあがったルールとインフラの上で生まれた「消費」としか映らない。
>僕なんかは、コミケですら、クリエイト行為なのかなと疑問に思う部分があったのに、
>ここまで来ているのかという驚きと同時に、「なるほどなぁ」と思ったんですよ。

東のエデン監督「今の若者はニコ動でクリエイトした気になっている」:VIPPERな俺跡地

(本当は全文読んでもらったほうがいいんだろうけど、雑誌だから難しいかしら。
 ここだけ抜くとニコ動批判みたいだけどそういうわけじゃないのだ。)
Not found.


ニコ動では基本的にみんなが暗黙的に共通している「なにか」に載せていくパターンが多いわけじゃない。
初音ミクしかり、ドナルドしかり、各種アニメしかり。
だからとても「消費」的だ、というのもわかるような気がする。ふむふむ。
アニメを作る人から見たらそうかも知れないね。


でも、わたしから見たらニコ動でボカロに歌わせたりMAD作ったりMMD作ったりPV作ったりしてる人たちは「クリエイター」だ。「創る」人たちだ。
そういう意味で「振り込めない詐欺」っていうネットスラングはとてもおもしろいなって思う。
共感やコミュニティの価値が大きくなってるってマーケティングの世界で言われてるけど、
商品価値に対する貨幣価値の意味はとても大きくて、「いいものにお金払いたい」思想は根強いんだぞっていう。
その発想も「消費」者的だよね。サポーターというよりも「消費」。


こういう意味で関連を出すとしたらもちろん話題になったiPadに対する宮崎駿監督の見解でしょうね。
神山監督のさっきの言葉と通じるものがある。

あなたは消費者になってはいけない。生産する者になりなさい。

宮崎駿監督iPadについて「ぼくには、鉛筆と紙があればいい」と語る:平凡でもフルーツでもなく、、、:ITmedia オルタナティブ・ブログ


消費。生産。創作。
境はどこにあるんだろう。
Twitterマッシュアップ推奨でサードパーティツールが多いのが大きな特徴だと思うけど、そのツールを開発している人たちは「創る人」「使う人」どちら?
各種クライアントは、ただ見せ方を変えているだけだから「創る」側じゃないかな。
じゃあ、TwitPicは? Twilogは? Toggetterは? ふぁぼったーは?
うーん、「使う」というには逸脱してる気もする。
「創造的に使う」という中間値があればどうだろう。


「創造的に使う」がありえるとしよう。
そうなると、プロダクトの場合は?
例えば、洗濯機を「創造的に使う」はありえるのかしら。
限定的な機能の最大パフォーマンスを誘導するための商品だからそれはありえない?
炊飯器でケーキを焼くのは? 掃除機でお布団を圧縮するのは? 
本来の「機能」ではあるけど想定されていた成果物とは違う使われ方。クリエイティブ…かなあ?
でもさっきの、マッシュアップツールを「作る」とはわけが違うような気がする。


「世界を変えるデザイン展」でものすごくひっかかったのはこのへんのもやもやだ。
元ネタ?の本の英題は"Design for the other 90%"だったのだけど、
結局提供しているのは「デザイン」ではなく「機能」じゃないかなって思ってた。
見たあとすぐはこのへんをうまく言えなかったのだけど、
要するにデザインを作り手のものとしてみるか、ユーザーのものとして見るか。
「デザイン」を意識するのはどっち側なのか。
誰が「クリエイティブ」の元になりえるのか。
「創造的に使う」を許容されえる構造なのか。
まったく、されてなかったんだよね。
太陽光発電とか水の濾過とかとても大事だし有用だと思うよ。
使う人になにを想起させるのかということ、というか。
機能を届けることが最大の目的としてあるならそれはそれでとても重要なんだしさ、
デザインなんて言葉を使うことで曖昧になっちゃうものがあるんじゃないかなって、感じる。


デザインの話を考えているといつも思い出すのは「インターネットが死ぬ日」という本。
著者は「iPhoneは、なんて自由のないデバイスなんだろう」という話をするわけです。
でも、わたしは今までの(ガラケー)(という言葉はすきじゃないけど)ケータイが基準だから、なにこれ遊べる!自由!という意識で持ち始めた。
パソコン(特にプログラマ寄りの視点)からスライドさせた見方だと「こんなに制限されてるなんて…」になるわけね。
わたしは「サービス」を「使う」意識、彼は「プロダクト」を「作る」意識。
あなたはどっちですか。iPhoneが自由がないと思う人は、どれだけいますか。


このマトリクスを図にしてみる。
X軸が「使う」⇔「創る」、Y軸が「サービス」⇔「プロダクト」
見たものをここにマッピングするならどうしようかって、最近はあらゆる場面で考えていた。
人によって違うだろうなって思う。
f:id:haruna26:20100720005606j:image

でね、ここのどの象限が"Creative"にあたるのかって話なの。
コラボレーションとかグループワークとか、なにをどうしたらうまくその感覚にのるんだろうね。


わたしはまったく「創る人」の感覚を持っていないつもりでいるわけだけど、
こうやって言葉を編むことはまぁ創作と言えるかもしれないよね。
それは、自覚の有無の問題なんだろうか。
もしそうだとしたら自覚はいつどこで生まれるんだろう。
「自分はクリエイターかもな」っていう。ふしぎ。