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知らないしわからないけど将棋を教えてもらうのが楽しい話

この数週間、将棋を教えてもらっている。
自分で指してるわけではなくて単に見てる。対局そのものというより取り巻くあれこれを見てる。
将棋電王戦、としてコンピュータソフトとプロ棋士との対局をやっているのは名前だけ知ってた。ニコニコで将棋が盛り上がってるのも知ってた。……というくらいだったのけど、突然見始めた。

きっかけは3月22日の第2局「佐藤紳哉六段 VS やねうら王」だ。説明すると長くなるので以下ご参照くださいという感じなのですが、すっごく簡単にいうと、対局前の研究用に棋士に貸出→直前にコンピュータソフト側を“バグ修正”のためアップデート→強くなってるじゃん!→フリーズしても困るので新バージョンでやります→そもそもアップデートできるって最初のレギュレーション違反じゃない? 運営どうなってんの?→すみませんやっぱり旧バージョンで、って流れが対局前1週間であったのでした。

電王戦第2局「やねうら王」の修正対応について‐ニコニコインフォ
2ch名人 電王戦第2局、佐藤紳哉六段 VS やねうら王戦のレギュレーションが変更
将棋電王戦出場ソフトが対局前に“バグ修正”の是非 作者「棋力には影響しない」、棋士「明らかに別物」 - ITmedia ニュース
将棋電王戦、「やねうら王」修正前バージョンで対局 ドワンゴ「運営の判断ミス」と全面謝罪 - ITmedia ニュース

最初に言ってしまうとわたしは将棋のルールをほぼ知らないに等しい。多分最後にやったのは小学生の時だ。王様をとるゲームだよね?角と飛車が強いんだよね?どっちかが斜めに、どっちかが縦横に動くんだよね?くらいの、なんというか……小学生当時の自分以下だ。なので盤面を見ていても形成を判断できない。さっぱりわかりません。え、何見てるのって感じですよね。

でも電王戦のこの件を追いかけるのはゲームとしての将棋から離れてとっても興味深かった。まずやっぱり、人間VSコンピュータという構図が単純にドキドキしてわかりやすい。それぞれの立場でいろんな見解があって、開発者含めみなさんがブログやTwitterでいろんな発言をしているので読みながら勉強できる。しかも、将棋自体の勝ち負けというより、もう少し大きな、人工知能との向き合い方、プライドの在り処みたいな話になる。調べていくと前回の電王戦では事前貸出がなかったんだ、とかわかってくる。そうすると前回はどういう結果で、どういうドラマがあったんだろう、って興味が出てくる。

コンピュータやロボットといった知能機械が(特定の場面では)人間に匹敵する思考能力をもちつつある現在、あるいはその能力のさらなる拡大が予想される近未来の状況において、私たちは「彼ら」とどうつきあっていけるのか。その先駆的なモデルケースとして電王戦を捉えてみたいのだ。

そう考えれば、棋士側の最大の強みであったはずの「大局観」は、彼らの思考を特定の枠にはめ込んでしまう「先入観」と区別できなくなってしまう。

計算する知性といかにつきあうか――将棋電王戦からみる人間とコンピュータの近未来 | SYNODOS -シノドス-

この記事、本当におもしろくて、長い文章だけど何度か読んだ。想像の範疇であると同時に想像を超えていてその具合が超超おもしろい。将棋の話だけじゃなくて、広くコンピュータを使うとか一緒に生きることについて考えた。


第2局のプロモーションビデオ、今は公式では非公開にされてしまったけど、経緯もパーソナリティもまっったく知らないまま見るとどちらがどうという思い入れもなく、編集すごいな、とにかくものすごく対立構造煽ってるな……という感想しかなかった。で、対局に挑む佐藤紳哉六段に普通に興味持った。めっちゃ知りたくなった。「歌って踊れるアイドル棋士を目指した」って、な、に……!?どういうことなの、何そのキャッチーなフレーズ!

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というわけで、佐藤六段のことを調べはじめた。Wikipediaを読んで、動画サイトにあがっているMAD的なあれこれ(将棋関係は愛がある動画がたくさんあって素敵ですね)をいくつも見た。

こんなの、好きになるでしょ……。かくして電王戦新規を名乗っていきたい次第であります。
佐藤六段、和服で対局されてて、格好良かったです。男の人の和服はなんてずるいのだろう。


29日の第3局、家で他のことしながらニコ生を半日つけていたけど超ミーハーなことでもすごくおもしろかった。豊島将之七段は「きゅん」って言われてるって、「豊島きゅん」だからだよって、何それかわいいな、そんなのってないよ!!!

あべのハルカスの高層階から生中継だと景色きれいだなー、とか、恒例のお昼ごはんやおやつのラインナップとか、将棋見てるはずだったのにおやつタイムは23歳男性(自分より若い)がどら焼きをほおばる映像を見ることになったりとか、コンピュータ側はロボットアーム・電王手くんが駒を操るのだけど、“彼”が投了するときお辞儀した!!!だとか。わからないことたくさんあるけど、わかる部分だけでもとても楽しくて、でももっと知りたいな~と思うからもう少し深くまで足を浸しにいく。

個人的に将棋のいいところは、読みものが多いところ。当然専門的なものはわからないのですが、エッセイに近いようなもの、人となりがわかるような文章がたくさんある。文筆家や小説家の人の文体とも自意識や言葉選びが少し違ってて新鮮だし、もちろんアイドルのブログとはまったく違う密度の文章で読み応えある(アイドルの意味の薄い文字列のブログたちはそれはそれでまた大好きです)。

アニメやアイドルに入門するにはたいていの場合動画をある程度の量見る必要があって、その時間を作るのが案外しんどい。いつどこでどうやって見るかもそうだし、尺を調整しにくい。せいぜい1.5倍速で見るくらいだ。読みものは好きなときに好きな場所で自分のペースで、場合によっては流し読みしながらいけるのがいい。

豊島七段のツイート、最後の一文にしびれますね素敵です。


……前置きがあまりに長くなったことにはそろそろ気付いてる。

女子アイドルからスタートし、この1年でジャニーズに宝塚にアニメにと、ただただミーハーを極めて節操無くいろんなジャンルに手を出しまくってきている人間なのですが、この行動の根本は、「知らない」「わからない」を認めることが怖くない、むしろその状況を超楽しめる、ってところにある気がしてる。将棋はこれまでに増してそれを感じる。知らないことばっかりすぎていろいろ教えてもらうのが楽しすぎる。いくらでも「へえ~!」ってことがある、だってルールすら知らないんだからな……。そして「3月のライオン」はすばらしいな!と改めて深く思ってる。知らなくても読めるし、張り詰めた空気とかギリギリの攻防とかのドラマティックさに震えられる。その上で目の前を追いかけると、ああ現実はこんな風にフィクションを超えて、が身に沁みる。

知らない何かに入門する時、全然知らねーくせに!って言われたら怖いし、ドアを叩くのをためらったことが何度かあったけど、何度か「新規」として存在することを繰り返してその気持ちはなくなった。人をいらだたせる可能性が高いのは「知らない」ことよりも「知ったかぶり」だなって思う。変に背伸びしないで、もっと教えてくださいよ、こういうことを知りたいんですよ、ってオープンな気持ちでいると、人は本当に優しい。将棋に限らず何かのファンの人はたいてい目を輝かせながらめちゃくちゃ親切にいろいろ教えてくれる。どんどん資料をくれる。そういう熱にあたってるの、それだけで最高に元気出る。

「知らない」「わからない」に罪悪感や恥ずかしさのようなものを感じるようになったのがいつからかわからないけど、本当は全然恐れることじゃないんだよね……って開き直れる(あえてこの言葉を使う)ようになったのはいいことかもしれない。変な風にへこまなくなった、別に趣味の話だけじゃなくて。知らないことはこれから知っていけばいいし、まだまだ先があるのはとっても楽しくて喜ばしいことだ、と思う次第です。


……元気がなくなるとこういう気持ちを忘れてしまうから、卑屈になるし落ち込むし世界が全部敵だって気がしてくるから今書いておく。春なので機嫌がいい。電王戦はあと2回続きます。