「笑っていいとも!」が終わった。32年。途方もない時間。
生まれて初めて「いいとも」の放送していない世界が幕を開けた。
改めて考えると普通に学校や会社に行ってたら見る機会少ない時間に淡々と放送し続けてる「笑っていいとも!」がなぜこんなにわたしたちには当たり前で知ってて当然の番組なのか不思議
— もぐもぐ (@mgmgnet) March 31, 2014
違う、逆だ。学期末に学校から早く帰ってきた昼下がりに焼きそばをレンジでチンしながらとか、風邪で休んだ日に力を振り絞ってふらふら起きてポカリを飲みながらとか、バイトの昼休みに老若男女そろった休憩室でぼんやりとか、そういう超何気ないけどなんとなく甘い記憶とくっついてるから特別なんだな
— もぐもぐ (@mgmgnet) March 31, 2014
正直言って、「いいとも」であることは画面を見ればわかってもどんな内容やってるのかよく知らない。テレフォンショッキングくらいしかコーナー名知らない。
でも、ただただずーーーっとそこにあった。
終業式の日に早く帰ってきて、午後からまどかちゃんの家に遊びに行くからごはん食べよ、と思って誰もいない家でお母さんが作り置きしてた焼きそばをチンして食べてるとき。
高校2年の文化祭が終わって疲れて熱出してぶっ倒れて、日が高くなってから眠りから覚めてふらつきながら冷蔵庫を開けてとりあえずポカリスエットに手を伸ばした時。
ショッピングモールの試食販売のアルバイトの昼休みの休憩室で見知らぬ老若男女が集まってひとつのテレビをぼんやり眺めてるとき。
起きたら案の定2限間に合わなくて昨夜の酒が残る痛む頭でどうしようもない気持ちでチャンネルまわしたとき。
全部同じ画面だった。
すごいことだ。テレフォンショッキングを見るとソース焼きそばかチャーハンが無性に食べたくなる理由が2014年3月31日になってついにわかった。ひたすら日常であることはものすごく強靭で特別なんだね。わたしは「大いなる平凡」て言葉が大好きなのだけど、あのサーカスみたいな、お菓子のおまけのシールみたいなあのスタジオは、映像としてかなりイメージに近いような気がする。
「そもそもなんで終わるんですか」。
香取慎吾さんの言葉にハッとした。考えたことなかった。「終わります!」「えーそうなの!」以上の思考がなかった。いやもちろんあって当たり前のものだったからびっくりはしたけど、終わるときには終わるだろうって思ってたから。そこに理由を問う気がなかった。
突然だけど、いろいろな感情はあるけどなんだかんだAKBが好きだ。2年前の夏、ずっと目標にしていた東京ドームでのコンサートを迎えて、前田敦子を失って、「このあとどうするんだろう」と素朴に思った。明らかに一時代が終わってしまった。オワコンだわー、という意味ではなくて、どう続けるんだろう、って思った。そこからジャニーズや宝塚に興味を持った。50年や100年、脈々と続いている集団に。どうやって求心力を保ち続けてるのか、何を目指してるのか、どこを見ているのか。
ジャニーズは勉強すればするほどおもしろかった。小学生の頃、最初に恋したアイドルは加護亜依さんだ。そこから女の子を愛でてきた自分には「卒業」がないのが衝撃だった。いつまでも見てられる! なんて幸福なものじゃなかった。むしろ怖いと思った。だって終わりがない。
多かれ少なかれ、今までいつか卒業するんだと思って見ていたことを裏側から初めて自覚した。べらぼうに人数の多いAKBは特にそうだ。誰かの卒業が発表されると、次はもしかしたら、と無意識に頭をよぎる。あの子もうハタチだし。やめてもおかしくないし。むしろやめて別のこと始めるなら今くらいだし。コンサートの度に握手会の度に、次はいなくてもおかしくない、と心のどこかで多分思ってる。
それは必ずしも悪い感情ではなくて、アイドルを降りてもっと幸せなあるいはもっと自律的な人生を歩めるのなら本当にいいことだと思う、即刻わたしたちの前から消えてもらっていいよ、と思う。でもまぁ、ファンというのは難儀なものだ。いざそうなったらさみしくて死にそうになる。ただ「選べる」ことはポーズであっても担保されてる。どちらでもいいから、ファンのことなんて考えずにもっと利己的に自分勝手に、ちゃんと選んでねって思う。アイドルじゃない人生をとるなら、それはそれで真っ白に明るくあるように願う。
ジャニーズは違った。ずっとアイドルだった。降りることはほとんどない。……いやあるけど、最近もあったけど、レアケースだ。木村拓哉はいつからキムタクでいつまでキムタクなのだろう。きっとこれからも。その確信がこっちにもある。
「歌の世界にはライブがあって、最終日があって。ドラマにはクランクアップがあって、映画にもオールアップがあって。ゴールに向かって進むじゃないですか」
「でもバラエティは終わらないことを目指して進む、覚悟を持たないといけないジャンルなんじゃないか」
「ゴールがないところで終わらなければならない。こんなに残酷なことがあるのかなと、思います」
タモリさんに向けて中居正広さんが言ってたこの言葉が、わたしがジャニーズを勉強し始めて1年半で感じていた得体のしれなさとどこか似ていて鳥肌が立った。アイドルとして生きることに終わりがない。ゴールがない。SMAPは、多分きっと死ぬまでSMAPだ。
うーん、かわいそう、とかではなくて……。覚悟の凄さに改めて震えた、というと陳腐な言葉になってしまうけど。人生をまるごと見せてもらえているのは超すごくて、でもとても怖い。女の子のアイドルはいつもすぐに「推し」を決められるけどジャニーズは「担当」を全然決められない、というか決めてしまうのが怖かった。その先にある時間が長すぎる。死ぬまで付いていくからね!!!とかじゃなくて、いつか視界から外れる日が来てもきっとずっとこの世界にいるんだって思うから。
でも、そんなこと思うのすら失礼だなってなってきたのだ。去年のSMAPはあまりにエモくて、5人で車で旅行してるだけで、「無駄なことを一緒にしようよ」って笑顔で歌うだけで、なぜか何度も泣いてしまった。ああ20年って。おっちゃんたちずるいよ。
本人たちの重ねてきた年月もそうなんだけど、応援するとかされるとか以上に、ファン自身の人生と寄り添っているんだなって感じがすごくすごく強かったからだ。小さいころにお母さんと一緒にファンになって、受験勉強で苦しんでる時も、恋をしたり失恋した時も、仕事で悩んでる時も、しんどいことがあって大泣きした夜も、結婚して子どもができてからも、そういうすべてでずっと側にあるってなんて尊いことなんだ。人生が重なる。長く続けるってそういうことなんだなあ。「終わらないことを目指して進む」。もうそれが彼らの「大いなる平凡」なんだなって。
いいとも、いいトゥモロー、で踏んでるの、めちゃくちゃいいな。明日はまた続くのだ
— もぐもぐ (@mgmgnet) March 31, 2014
トップアイドルとしての彼らの人生も、協調性も向上心もなくだらだらと時間を溶かす女の人生も、等しく続くのだ。神様は残酷に平等でくらくらするな。平凡は強い。明日もウキウキとがんばろう。