インターネットもぐもぐ

インターネット、おなかいっぱい食べましょう




秋元康の子どもたちはみな踊る(ファンもメンバーも)

ついに来た。選挙までに書きたいことはいくつもあったんだけど、もうここまで来たらいいや。
えー今年もやるの、疲れちゃうよ、って思ってたんだけど、でもいざはじまってしまうと、速報の順位を聞いてしまうと、予想よりずっと高いところに入った子たちのファンの人を思って、えっこの子がこの順位なの、えっこの子なんてランクインしてないの、っていうのを見てハラハラして。いろいろ揺すぶられてしまう。お祭、見たくなってしまう。目撃者になりたい。イベントを伝説にするのが、伝えるべき日にするのが上手だなぁと思う。

残酷だな数字出るの、やっぱり。そして一抹の気持ち良さもある。
魂を削っている彼女たちをこんな簡単にファストフードにしてごめんなさいという罪悪感もある、何度目になっても拭えない。

AKB、みんな同じに見える、っていう感想は、"manufactured girls"って表現はとても適切で。最初はわたしも群れにしか見えなかった。でもそれぞれの話してることとかじゃれあってるのとか眺めてるとどんどん立体的になってくる。で、選挙で、この子の後ろに声援を送るたくさんの人がいるってわかるとそっちにもまた広がる。実際の露出度ではなくてファンの財力や団結力、あるいは愛(といっていいかもしれない)で順位に食い込んでくる子たちを見てドキドキしちゃう。

顔も名前もない世界に、なんとかちゃんを応援するたくさんの人たちの中に、沈むのは不思議に気持ちがよい。主語は俺じゃなくて俺たち。そりゃ楽しいよね。守護聖人のお祭みたいなものだよね。何百年も前からあるでしょう。


気持ち悪いなと思う人もよくわかるんだけど。露悪的で趣味が悪いなって思うのもわかるんだけど。だってファンですらそう思うし。
でもさー、好きな女の子が応援してる女の子が、しあわせになってほしいんだよ。例え武道館の舞台でコールされなくても、自分の名前を指名して票を投じてくれた人たちが何百人も何千人もいるんだよ。それってすごいことじゃんね。相対的な順位がどうこうはもちろんだけど、名前呼んで応援してもらえる、その喜びってすごいと思うんだよね。

彼の手の中で踊らされているなぁと思う。秋元康のすごいところは、自分も同じフロアに立ってるところだ。あえて自分の手を放す。決して階段の上から見てないもの。そして踊らされているのはファンもメンバーも同じで、その意味で同等で、だからこそ感情移入しちゃう。絶対泣くじゃん。こんなのさあ。

前も書いたけれど、人前で泣くのはなんだかはしたない気がする価値観の中でこんな風に激しく過剰なまでに感情をあらわにして泣いたり喜んだり叫んだり倒れこんだり、するのはものすごくビビッドでびっくりする。自分が普段感じない感情の揺れを肩代わりしてくれてる錯覚すら起こす。
しあわせになってほしい。アイドルとしてでも、芸能界の外でもよい。ただしあわせになってほしいよ…!芸能的な意味で順位がつく場だけど、だからこそそのこと強く思う。はあ。決戦ですね。去年もこう思ったんだ、来年はもうこの人気はないだろうなって。