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世界報道写真展2011

f:id:haruna26:20110805033644p:image:w600
今年も行ってきました。高校生の頃から毎年行ってる気がします。今週末までだったのでギリギリ…行けてよかったです。


毎年、あの地下のギャラリーに足を踏み入れて写真を見始めると、同じ気持ちになって同じような行動をする。
まゆをしかめたり目を見開いたりして、唇をかんで息を殺して、たまに大きなため息をつく。
なんだか落ち着かなくて写真を舐めるように眺める一方で、靴のつま先とか自分の爪の先とか普段はよく見ない体の部分をじっと見る。


帰り考えてたんだけど、近い言葉で言うと、無知への絶望、だと思った。
罪悪感とか勉強不足とか甘っちょろい感じじゃなくて絶望って感じ。断絶とか。もっと厳しくて隔たりの大きさを感じる言葉。
この写真に写っているのは決して歴史の上の話ではなくて、2010年のいつかに世界の何処かで、わたしがインターネットで遊んだりテレビを見たりしているときに起こったことなんだって事実が苦しい。
知らないだけで現実は日々ドラマティックなのですね。世界は広い。(最近気に入ってる言葉のひとつが、ドラマティックです)


3月11日の震災をとりあげた映像コーナーもあって、流されていたのは一言のセリフもない、写真をつなげた10分のスライドだったんだけど、泣いた。
あの日のあとからの2週間くらいのずっとのどに何かがつまっているような、周りの音があまりクリアに聞こえないような、謎の不安感とか足元が揺らぐ感じが身体的に蘇った。
テレビのニュースで繰り返される映像とかネットで出会う写真とか、もうやめてやめて、と思いながら見るのが止められなかったよね。
スライドで1枚ずつ切り替わっていくのはその心理状況にものすごく近かったです。
今この写真に出てきた場所がどうなっているのかわからないけれど、あの日を境に時を止めた場所や人や思い出が途方もなくたくさん存在するんだろう、って改めて思った。
4ヶ月は彼らにとってどんな意味があったんだろうか。いま。


地震があって一瞬だけでもわたしたち(あえてその言葉を使う)が「世界の中心」になった瞬間を経験したからなんだけど、「祈る」についてすごく考えた。
祈るってなんだろうね。まじで。わからん。
この報道写真展は2010年に撮られたもので、どんなに短くても、その撮られた瞬間との時間差は10ヶ月くらいはあるだろう。
ハイチの地震のあとの略奪の現場とか、メキシコでのマフィア抗争の犠牲者とか、チベットでの地震後の集団火葬とか、インドネシアでの火山の噴火とか、そんな一瞬が封じ込められた写真を見て、祈るしかできない。
人の死亡率は100%ですけども、まるで予想もできないことで不合理に唐突に無情に、終わってしまうことはわたしの想像している以上にきっと多いんだね。
報道写真展に行くといつも、ああ神様、と思ってしまう。別に信仰的な意味の言葉ではなく。
そして、祈る、の原始的な意味はきっとこの「神様」だろうな、とも。 "Oh, my God."


写真というメディアはすごいな。前後の1秒さえも予想するしかないからこそ、その瞬間の質感が色濃く立ちのぼるし想像力が刺激される。
とにかく「知らない」ことを徹底的に意識させられるよね。
映像は知った気になってしまうけど、写真は逆に、知ることができない現実が浮き彫りになる。
フィルムを通して見るのと、現場で目の前に質量ある物体としてあるのとは、全然違うだろうなって。


世界報道写真展2011
恵比寿の写真美術館での会期は今週末、7日までです。金曜日は20時まで開館ですよ。
そのあとは、大阪、京都、大分、滋賀に行くようです。
http://www.asahi.com/event/wpph/
http://www.worldpressphoto.org


今回展覧会に行けなかった方は、iPadでアプリがあるようなのでご興味ある方はどうぞ。
受賞作品369枚はいって、450円かあ。安いね。
http://itunes.apple.com/app/2011-world-press-photo-contest/id426663516?mt=8&ls=1


※以下、印象的だった写真のメモ。

ロシアの帆船クルゼンシュテルン号の実習生
http://www.worldpressphoto.org/photo/2011joostvan-den-broekpo-2?gallery=890
美しいです。クラシカルなセーラーと、壁の白と身衣の白のコントラスト。目の色と光。にっこりしたらどんな顔になるだろう。


ポーランド政府専用機の墜落事故をうけて追悼するポーランドの市民
http://www.worldpressphoto.org/photo/2011filipcwikpns3-al?gallery=890&category=55
組写真。そもそもこの事件をわたしは知らなかった。こんな大きなことなのに。それにびっくりした。人は突然死ぬ。存在が消える。


Googleストリートビューから
http://www.worldpressphoto.org/photo/2011michaelwolfcis-hm-al?gallery=890&category=51
組写真。コミカルでシニカルでクリティカル。演劇のような日常、意図せず写りこんだ人たち。なんだか演出家がいそうなくらいだわ(神様?Google様?)
パソコンの画面の前に三脚を置いてカメラで撮っている図を思い浮かべるのもなんだかおもしろい。今目の前にいないけどいる。


「カウチサーフィン」によってニューヨークのアパートに宿泊する若者
http://www.worldpressphoto.org/photo/2011maltej%C3%A4gerdl-2?gallery=890&category=52
カウチサーフィンがこんなところに…!ぐちゃぐちゃな場所で眠る女の子たちと輝くディスプレイ。
ラップトップがあればどんな場所でも自分のテリトリーになるよね。それが今この世界を渡り歩くわたしたちのリアリティです。


マルガス島に飛来するケープシロカツオドリ
http://www.worldpressphoto.org/photo/2011thomas-ppeschakna-1?gallery=890&category=54
ああもう圧倒的に!負けました。もはや神々しい。


インド西部マハラシュトラ州で移動映画館の夜間上映を楽しむ人たち
http://www.worldpressphoto.org/photo/2011amitmadheshiyaaes1-il?gallery=890&category=50
組写真。いろんな表情で映画を見つめる老若男女。人が集まっていてみんながスクリーンを見て思い思いのことを考えてるって豊かな空間な気がする。きっとシネコンでもこうなのだろうけど、この質感は、こうでないと出ないね。
テレビやインターネットの普及で移動映画館自体が減っているらしいけど、釘付けにする、って、それができるエンタテイメントってすごい。


マドリードで開催の闘牛中、牛に突き倒される闘牛士フリオ
http://www.worldpressphoto.org/photo/2011gustavocuevassp-2?gallery=890&category=2
ううう、見るだけで痛いよ…!まんがみたいだ。真剣勝負どころか、文字通り命がけ。赤青のマントと、より黒ずんだ赤がしたたるその艶やかさ。くらくら。そして恐怖。