うーん、むかつく。とてもいらいらする。
女にも男にもむかつく。
というより、女的なもの、男的なもの、その枠組と目線にむかつく。
「恋愛、しないとだめですか?」
この小説の帯の文言が秀逸で、それだけで読みたいと思った。
「したい!」でも「できない!」でもなく、「しないとだめですか?」なんだよね。
なんだろうね、この、「若い女は恋愛してて当たり前だろう」みたいな、空気は。
モテの追求、みたいな。誰にモテたいのでしょうね。
いやー、女の子。むかつきます。
恋愛の話をするときにとてもおもしろいときとまったくおもしろくないときがあるんだけど、この本にでてくる彼女は完全に「おもしろくない」ほうですね。
要するにそれはどういうことかというと、メタ的に自分がすきなものを把握できてないってことなんです。
「ライフワーク化していた永遠に続きそうな片思い」はまだ風化してなくて、というか、風化させないことこそが彼女の中で至上命題で、こっちがスイッチを切ったら死ぬってわかってる。
それはもはや恋愛ではなくて、もっと脅迫的な何か。
恋人同士になれるかどうかがもはやゴールではないわけです。
冒頭に「わたしにはふたりの彼氏がいて」なんて言っちゃったりしてる彼女の仮想恋愛に、読者は巻き込まれてく。
あーあー、あるある、とも思えない劇が続く。
恋愛ではなくて「恋に恋してる自分に恋してる」に等しい。なんて複雑なのかしら!結局自己愛。
これが26歳OLだっていうのがまた生々しい。「恋に恋してる」だったら中学生ですよね。
そして出てくる「イチ」「ニ」の男も。むかつく。
特に「ニ」が最初に彼女にふたりきりで会ったときの一連の会話がすごい。
お互いに空回っている。もうこの会話だけで、ふたりの空気感が伝わります。
「このまえのプロジェクトとか動く金が億単位だったから神経使ったー。あのときはさすがに疲れた、俺が担当だったから」
「まだ若いのにそんな大きなプロジェクトを任されるなんて、優秀なんだね」
「ちがうよ、優秀だからじゃない。労力が必要で責任も大きいプロジェクトだから、上が嫌がって、よく動くイキのいい若手に押し付けただけ。(略)」
望みどおりの相槌を返してあげたのに即座に打ち消してくる人、あと企画のことをかっこつけてプロジェクトと呼ぶ人は私は嫌いです。
でも片思いという名の思い込みで、中学生の頃から恋(というより、執着)し続けている「イチ」に大してはものすごく甘いのです。
「ええ、それ、違うよ!!」と読んでる側が突っ込みたくなります。
「ニ」に対する冷静さがぜんぜんないよ!!と言いたくなります。
別に誰も悪くないけどみんなすれ違っている。
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綿矢りさ、金原ひとみ、島本理生、はあの年に出てきた生まれた若手女性作家で、同じような年代のひとたち。
みんな恋愛小説書きのくせして、「愛はまったく万能ではないし何も救ってくれません」というスタンスなのがとってもおもしろいなって思う。
盲目だけど冷めてる。深みにハマるくせに視線は遠い。
それだけじゃ生きていけないよなーって完全にわかってしまってる。
それはなんなんだろうね? 「しなくちゃだめですか?」の問いが大事な気がします。
自分への挑戦というか。ぜんぜんきれいなものじゃないと思ってる感じ。
むかつく、がとても重要なんです。外から見ていらいらする、ぜんぜん論理的じゃないしわけがわかんないことが大事なんです。感情移入なんてしなくていい。
Amazonのレビューは、恋愛小説に「納得」と「理由」と「流れ」を求めてることがよくわかる。
でもそういうんじゃないんだと思う。書きたいのは。
もっとぶつ切りで断片的で「みんながやってるから」がフィールドにたつひとつの理由になってる「恋愛ゲーム」の話。
ラストはいまいち納得いかないけど、そういう気持ちで読めば、うん、と思えた。