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SPBS/オブセッション/再生*ラウンジ/まれびとハウス

5月23日日曜日はものすごい日だった。動いたー。

SBPS編集ワークショップ

今日は説明会。楽しかった。
編集ワークショップの説明はここの真ん中あたりにあります。
SHIBUYA PUBLLISHING BOOKSELLERS:INFORMATION

前半は、編集ワークショップ2010について「ワークショップの目的」や「編集とはどのようなものなのか」などについて、
総合講師である、伊藤総研さん、特別講師の鈴木芳雄さん(元BRUTUS副編集長)、
松本弦人さん(アートディレクター,BCCKS主宰)に「第0回講義」と題してお話いただく予定です。

ひとりで一冊、作るの、半年で、本を。
本を作るって、文字を紡ぐってことじゃないんだよね。
自分の中にある一貫したものをうまくパッケージングしてあげる行為。
編集っていう考え方、すごくすき。別に書籍的な意味だけじゃなくて。
わたしの今日の行動だってすごく「編集的」だと思う。
めちゃくちゃに見えるけど、たぶんつながってる。


「自分以外の人=読者が欲しくなる魅力的な本を作ること」
これはすごく難しいよなあ。深い。
今わたしが興味があるのは「メディア力(≒発信力)はいかに身につくか」。
やっぱり見せ方がうまい人とそうじゃない人っているじゃん。
これから個人の時代になっていくとそこってすごく大きな違いになっていくと思うんだけど、
それってどうやって育まれるんだろう。
多分、いい意味で人の目をいかに意識するかじゃないかと思うんだよね…
試行錯誤をやめない、というか。あきらめないようで何かをあきらめること。


わたしは人によって言うことや見せ方を変えるのは決してごまかしでも逃げでもないと思うよ。
「本当の自分」がひとつしかないなんて幻想だ。
その幻想をとりはらうことが「コミュニケーション能力」です。
(編集は、かなりそれに近い目だと思う)(最近考えていたことだと、演劇教育も然り)


あと、松本弦人さんが紹介してくださったこのサイトはすごい。本当に。
オンデマンド出版の想像を超えてる。
BCCKS / ブックス
これは感動した…あとでちゃんといじってみよう。
自分で写真集も、文集も、エッセイも、小説も、作れるんだよ。
自分でもやってみたくなった。わくわくするなあ。こういう世界。「メディア力」。
SPBS (@SPBS_Tokyo) op Twitter

オブセッション

闇に包まれた舞台上に、ぼんやりと姿を現す男と女。ぽつりと置かれたテーブルを、電球の灯りが仄かに照らす。
簡素な空間の中で、一定の距離を保ちうごめくふたつの肉体。
そこに浮かび上がるのは、魂のぶつかり合いが生む調和と不調和。愛情に端を発する、対象を引き裂かんばかりの歪んだ固執・・・・・・。


『オブセッション』とは、“偏愛”の意。
その着想の基となっているのが、シュールレアリズムの傑作として名高い映画『アンダルシアの犬』である。
勅使川原がこのショートフィルムと出会ったのは10代の終わりのこと。
「衝撃的な内容以上に、問いかけられた気がしたんです。“おまえはこれから何が出来るのか?”、と」。
それはある意味彼にとって創作の原点であり、ダンスという長い旅の始まりだった。

Bunkamura:勅使川原三郎新作公演 オブセッション


見たいなーと思ってたんだけどチケットとれなかったしいっか、と思って当日になり、
もしかして当日券とかあるのかしら、とひょっこりBunkamuraに寄ってみたら、
あと5分で発売しますよって言われて。
数十秒のあいだ頭フル回転させて悩んだんだけど、せっかく今日渋谷にきたんだから、
これも何かの縁だわ、と思って買った。A席6000円。バイトしてない学生には大きな出費!笑


どきどきしながら開演を待つ。わたしは勅使川原三郎という人をよく知らない。
Bunkamuraのページのインタビュー動画を見たくらいだ。
でも、ぜったいわたしにはわからない感覚で生きてることはよくわかった。
わたしは音と文字の世界に生きてるし、認識チャネルはそれが大部分だから。
彼と彼女は身体でいろんなものを感じてるんだ。それってすごい。ぜったい理解できない。
理解できないからこそ見てみたかった。自分が何を感じるか知りたい。


以下、わたしのツイートの抜粋。

圧倒された。ぜんぜんわからなかった。めっちゃわかった。全部ほんと。

とにかく、勅使河原さんの動きがものすごかった。最初に彼が踊りだしたとき、息が止まった。
わたしは映画とか舞台とか見るとき、基本的に紙とペンを持ってみるんだけど(暗闇で走り書きする)もう指なんて動かす余裕なかった。目が離せない。

魔法みたいだ、って思った。魔法をかけてる、かけられてる、どっちも。
魔方陣を書いてるような気さえした。光と影が。ぞっとした。こわかったもん。

佐東さんはまた違うコワさ。呪術的。破滅の匂いがする。宗教儀式みたいだ。
あのね、動きを見てて、「踊るシヴァ神」の像を思い出したよ。そうだ、彼は破壊の神だよね。

バイオリンの生演奏もよかったなー…月並みな感想だけど、世界を作ってた。底抜けの暗さ、狂気的な生気。
アンダルシアの犬って、あらすじ見るだけで怖すぎて見たことないんだけど見ないで行ってもこれだけ迫るものあるんだなて思った。

とか言ってみてるけど、実はぜんぜんわかってないんだ、すごさ。でも頭真っ白になって、終わったあとしばらく座って反芻させてた。


うん、勢いで書いたわりにはちゃんと言いたいこと書けてる。
人間のカラダがすきだ。そのために舞台を見たい。
2010年になってから、ライブとかクラブとかCDとか舞台とか、そういう生を感じるものに圧倒的にお金かけてる。
洋服とか靴とか、機械とか、そういうものよりも。
たぶん自分のなかで何か急速に動いてるんだと思う。


身体で思考してるんだなぁと思う。
佐東さんは肌色の衣装で艶めかしかったんだけど、エロくはなかった。
なんていうか、女というより生物という感じが強すぎた。
生まれることと生きることと死ぬことの匂いが、一気にする。すげえなと思った。
わたしにはわからないけど、その源は。
ああいう思考感覚の人もいるのだ。
わたしにはうまくできないからってそれは「存在しない」わけじゃない。
そのことを認識したくて舞台を見る。


勅使川原さんについてはもう何も言えない。夢に出てきそうなほど圧倒的な力強さ。
また見たいな。ほんとうに、すごかった。
彼が踊りだすと空気の粘度が下がる。
光と影まで味方だ。
そうだ、照明の演出も不思議な感じだった。遠近感を狂わせる。
「不在の存在」が舞台に出現する。


今日見てよかった。そしてフライヤーいっぱいもらえて嬉しい。
動きがあるやつを次は見たい。ダンスは涙出そうになる。
陸上と競泳とダンスは、いつもそう。

再生*ラウンジ

今日までだって知ってて、少し覗きにいこうって前から思ってた。
一般的には「展示を見に行く」だけなのにめっちゃ緊張したw
17時半くらいに行ったんだけどすごく混んでた。
ちいさな部屋。爆音で音楽。かっこいい。DJがいて。


壁にも床にも絵やまんががびっしり。
エロ漫画がたくさん。ものすごい空間。
プロジェクタで映されたむせかえるような色。
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ごめんなさい、わたしはpixivクラスタにもオタク文化にもあまり詳しくないので、
うまく言及できないしするつもりもないんだけど、
でも、単純にわくわくした。にやにやとも言う。
エネルギーがすごいなと思った。誇り、なのかな。


あとは“見られる側”と“見る側”の融解が顕著だった。
誰が“演者”で誰が“お客さん”なのかわからん。
あ、今書いて気づいたけど、展示っていうよりショーに近い感覚で見ていたな。
ふしぎな感覚だった。目を閉じたら自分を見失いそうだ。
包括を待ちたいなあ。おもしろかった。見に行けてよかった。
アートってなんだろう。

まれびとハウス

田端のまれびとハウスにはじめて行った。
何度か話には聞いていましたが、まれびとハウス初上陸。
どう説明したらいいんだろう…シェアハウス兼イベント開催会場。
「宅飲み」ならぬ「宅イベント」だね。
abode (@mare_bito) op Twitter


こないだお手伝いしたイベントでお世話になった方に
お誘いいただいて、いきます!ってふたつ返事したのでした。
ワークショップ部が1月にやったイベントの振り返り、が主。
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ThirdPlaceCollection2010
ワークショップ部 (@workshop_bu) op Twitter


サードプレイスって最近よく聞く言葉だけど、どういうイメージ?
わたしは「カフェでこもりしごと」ってイメージだったんだけど。
閉じた場所。集中するために、追い込むためにいろんなものを遮断する感じ。
でもこのイベントの“サードプレイス”は、
もっと人が集まる場所、新しい刺激を得る場所、っていう風に捉えてる。

今回のパーティーでは、このサードプレイスを
「憩いの場」ではなく、「対話・創造・学びの場」
すなわち「学びのサードプレイス」として捉えます。

家庭や職場から離れ、多様な他者とゆるやかにつながり、
対話・交流する中で、改めて自分の仕事の意味を問い直
したり、新しいアイデアや気づきを得るための場。
それが、「学びのサードプレイス」です。

この方がおもしろいよねえ。今日わたしが遊びに行ったSPBSなんて、完全に合致する。
この本屋さんは品揃えがすごく楽しくて、本好きの人なら絶対楽しめると思う。
いっつも何か買っちゃう。「新しいアイデアや気づきをえる場」だもの。


メディア、という言葉はすごく便利だけど危ないなとも思う。
場をメディアにする、家をメディアにする、アートをメディアにする。
なんとなくそのイメージの終着点はどれも共通していて、
おしゃべりが弾んだり、自分の中で新しい発見があったり、話すことで自分のなかで整理されたり、そういうことだ。
でもそのための動線の引き方やプロセスは場合によって、ぜんぜん違うもの。


あとは、やっぱり成果が測りにくいんだよねえ。コミュニケーションを軸にした試みは。
(そもそも測る必要はあるかしら?という問いから必要だと思うけど)
今日楽しかったね、で終わるか、次はここで会おうね、で終わるかは全然違う。
この「次の機会」の演出がすごく大事でめっちゃ難しいことだと思うな…。
そのためには参加する人だけじゃなくて場を作る人を増やすことだよね。
こっちにも来て、って言えるフィールドをみんなが持つこと。
そりゃあ楽しいな。そしてイメージもわく。
「自分の説明」より「自分がやっていること」の説明のほうがはるかに雄弁なことは案外多い。


最後のラップアップで
「家庭でも職場でもないことに意味があるわけではなく、
それらの場での役割や目的から解放され、個に戻って他者とつながれる場であるということがポイント。」

って言ってて、ああなるほど、と思った。


自分の大学の人に「なにやってるんですか?」って聞くの、すごくすき。
へええ、と思う。絶対みんな、お話を持ってる。
どうしたらこういうつながりを(出会いっていうと安直だからあんまり使いたくないんだけど)
発生させていくことができるかなーって思ってるし、思ってる人多い気がする。


まれびとハウスという「場をメディアにする」という言い方はおもしろいなぁと思った。
たぶんうちの大学はそれを「未来創造塾」を作ることでやりたいんだろう。
でも、そのへんの家借りて、ガチでベネディクト・アンダーソン輪読したり
徹夜でジブリ見たり、そういうことでもいいんじゃないかな。
場がある、集まれる場所がある、っていうのは強いなぁと思った。
大学から徒歩圏で泊まれる場所がほしい!!って去年の秋口くらいから
細々と言い続けているけど、ちょっと妄想がふくらんだな、実際覗いてみて。


稀に見る充実した日曜日でした。おしまい。