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インターネットもぐもぐ

インターネット、おなかいっぱい食べましょう




Googleおよびソーシャル以前のインターネット、そしてそこで細々と生きていた女の子たちの話、をねとぽよに書きました

女の子がすきだ。ものすごく好き。
恋愛的な意味ではなくて、生きものとしてとっても興味がある。端から見たら同じように見えても微妙に差があるし、あなたの普通とか当たり前とか言うほどでもないこととか、わたしはめちゃくちゃ知りたい。
ねえどうして今日その服選んだの? 最近どの絵文字が気に入ってるの? ケータイどうしてそれにしたの? パソコンどうしてMacBook Airなの? Facebookどうやって使ってるの?


ところで、最近聞いた話で一番感動したのは「シンデレラペタ」という単語なんですけど、それについて少し。
その言葉をわたしに教えてくれた彼女は大学の同級生で、ヴィジュアル系のバンドを追っかけてる。ヴィジュアル系の人たちって、Amebaのいろんなサービス使ってファンと交流してるんだね。アメブロ、ピグ、なう、とかとか。
アメブロには、訪問しましたよーを手動で通知する機能があって、これを「ペタ」っていう。mixiのあしあと的というか、FacebookのLikeやPoke的なというか、そういう感じ。コメント付ける以外のリアクションのかたちっていうこと。ペタお願いします、ペタありがとう、ペタ返しします、そういうこと。
バンドのメンバーは各自のブログのコメントに直接返したり、メッセージを返す(アメンバー同士のメッセージ機能がある)ことは禁止されてる。そういうときに自分のファンに愛を伝える手段がシンデレラペタ。

シンデレラペタとは - はてなキーワード

0時0分ぴったりにペタを返す。どうがんばっても(bot組めばできるじゃん、ていうのは野暮)1分の間にペタをつけられるのって数人だから、特別になれるんだって。「シンペタありがとう!」って、ブログにコメントするんだって。
すごい。本来ただの訪問通知なのに勝手に意味が付随していって、一喜一憂する装置になるなんて感動だわ。こうやってサービス提供者側が考えてもいない方に転がっていくのが一番豊かでしょう? ぞくぞくする。

こういうのがもっと知りたい。わたしが知らない世界。どんな風に文化つくってるのか、何がみんなの価値なのか評価なのか。
制約は想像力を産むし、罪悪感は創造力につながる。


ねとぽよの2号で、インターネットと女の子の話を書きました。
前にブログで同じようなことを書いた時のものを、もっとふくらませて書きました。そして、わたしの想い出に留まらずに社会的事実に照らして外側から分析してもらいました。時期で言うと、2000年代の前半くらいです。わたし自身は小学生から中学生にかけてくらいだったときの話。なにして遊んでたのか聞きながら思い出しながら。
ねとぽよ | ねっとぽよくはへいわしゅぎをひょーぼーします
女の子ウェブの歴史〜もしグーグルがインターネットになかったら #bunfree - ねとぽよ


当たり前すぎて話すまでもないこと、些細すぎてわざわざ話題にもならないことって、自分じゃない誰かが聞くとおもしろいんですよ。本当に。くだらないように見えても背景にはものすごい広い世界がある。つまんないわけない。なにそれくだらない、って言ったらおしまいだ。2ちゃんねるだって出会い系だって、切り捨てたらそこで止まる。ソーシャルゲームだってアメピグだってLINEだって、きっとそう。151匹のポケモンを延々と覚えてるのを見て、あなたたちその記憶力と熱意を違うことに使いなさいよ、って親や先生に呆れられた日々があるからそれを信じる。イーブイを何に進化させるかでひたすら議論したあの時間、とっても楽しかった。ちゃんとコミュニケーションになってた。テストの成績にも将来の夢にもつながらないけど、でもとってもよかった。
この文章を読んで、あの人にも読ませたい、とか、あの子にも聞きたい、とか、わたしも自分のこと書きたい、って思ってもらえたらそれが一番嬉しいです。
5月6日の文学フリマにぜひ。あるいは、ネット販売もはじまりますので、ご都合のつかない方はしばしお待ちを。
わたしも他の読みものと併せてパッケージになったときにどんな風に仕立てられるか、楽しみです。ぜひ感想あったら教えて下さいね。もしくはトラックバック飛ばしてください。絶対読みに行きます。あなたのあの頃のあるいは今の、「普通」が知りたい。


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