インターネットもぐもぐ

インターネット、おなかいっぱい食べましょう




みんなそんなにインターネットで「新しいつながりをつくりたい」の?

最近そんなことばかり考えてる。
自分もネット通じていろんな人に会ってきたしそれがプラスになったことの方が多いからうまく言えないんだけど、それもとっても楽しいし幸せなんだけど、なんだか。わたしにはそれが一番じゃない。


ソーシャルすばらしいよね!な人たちとネット中毒とかネットウォッチャーな人たちって微妙に違ってるような気がしてる。
どっちがいいわけでもなくて、求める優先順位とか順番とか視点とか。
友達の女の子が「リア充がインターネットに進出してきてどんどん居場所が狭まっているつらい」という言い方をしていて、なるほどなぁと思った。
大学生は特に顕著なのかなあ。ネットを使うのがどんどん当たり前になってきているもんねー。
ケータイとパソコン、で割り切れなくなった。遊ぶ場所がおんなじになっちゃった。
Facebookのリア充臭とか、えーっと、どこまでが友達だっけ…感もものすごい。わたしはFacebookは便利なアドレス帳だと思ってるのであまり考えてないけど…!Twitterはそのクロスポイントでおもしろいです。


後者であるわたしたち(という言葉をあえて使うけど)にとってインターネットはとにかく、第一の意味で、ひとり遊びツールだもの。
無限に続くハイパーリンクをクリックし続ける終わらない遊びだし、誰にも読まれないかもしれない場所に.txtファイルを置いてみたりする場所だったし、解散したバンドの映像を見て涙を流す場所だった。
薄暗い部屋で没頭する本の山だったし、鍵のついた日記帳だったし、今でも再生できるVHSレコーダーだった。今までも今も。
誰か人に会うことが前提じゃなかった。インターネットで気が合わない人はリアルで会ったってだめに決まってる、けど、そういうことだ。それ以上あんまり意味はない。ネットで仲良くても会わなくたっていい。


結局わたしは「ソーシャル」にはあんまり興味ないのかもなって気がしてる。
人とつながれるTwitter!すばらしい!!というのはもちろんひとつの側面だと思うけど、「会いたいなこの人!」と思える人を陰から眺めてメッセージを送るのが気軽になった点もだいすきだけど、わたしはそれよりもずっとただ意味もなく書ける場所があるのが嬉しい、それが一番大きい。
なんて言うんだろう、出会うことを前提に使ってるわけじゃない。結果的にそうなることはとても楽しい。
でも別にリアルとネットなんて融合しなくていい。垣根はそもそもないけど融合させたいかっていうと、ちょっと違う。


知らない人とつながる、ことに関してもうわりとおなかいっぱいな感じがある。
出会うために何かを使う、作為的な行動に出る、ことに戸惑っちゃう。慣れの問題かもしれないけど。
みんなそんなに、インターネットで出会いたいのかな。新しいつながりって、なに。
わたしは自信ない。あんまりたくさんの人と出会って、出会うことが義務みたいになってって、「おー、あの人も友達だよ!」っていう輪を広げていった先でなにかしあわせになれる自信がない。
友達の友達、とか、誰かの知り合い、とかなら楽しい。そういう限定された空間の方が居場所ある。
そういうのを増やすほうがずっとやりたい。友達の友達をもっと知りたい。そこに共通の興味がなさそうに見えてもきっと何かある気がするし、明示的な「俺の興味」が一致する人よりも、いろいろ話したい。相手も自分も掘り起こしたい。


id:phaさんがインターネットは承認欲求でできているという文章を公開してた。
すてきなタイトルだなあって思う。「承認欲求」って「友達を増やしたい欲」とは違う。
わたしはこのページにつけたブックマークコメントはこんなのだった。

そうそう、インターネットを使うことでバーチャルなところに逃げてるというより今生きてる三次元の世界に色をつけているんだよな。。ネット使わない人とはそこの感じ方が全然違うなって思う。 / “インターネットは承認欲求でできている” http://t.co/59wMvRGGThu Sep 29 05:43:01 via Hatena

色が付けばいいんだよなあ。つながりをつくってシナプスを増やして、かたちを変えたいわけじゃないんだよなあ。
変わるのが億劫なわけではなくて、変え続けることを強く望んでるわけじゃないんだよなあ。
友達の数(フォロワーとかFacebookの友達とか)を増やす、ことももしかしたら承認欲求のひとつの満たし方なのかもしれないけど。
なんだか難しい。そんなことを最近考えてる。
インターネットはすき。「続きはウェブで」と「はじまる前でウェブで」のどちらもすき。
でも、「はじまるためにウェブで」はあんまりおもしろくない、気が、する。