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インターネットもぐもぐ

インターネット、おなかいっぱい食べましょう




それでも宮崎吾朗さんは本当にすごいなとわたしは思った

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NHKオンライン


8月のはじめにNHKでやってた宮崎駿さん、吾朗さんふたりのドキュメンタリ番組の感想です。
1ヶ月経って今更感想を書くわけですね…本当は再放送に間にあうように書きたかったんだけど出遅れた感すごいです、ごめんなさい。
すごくいい番組だった。コクリコ坂はなんだったんだろう、を読み解くうえでいろいろ腑に落ちたし、アニメ自体に感じてる芸術性の部分もきちんとおさめていてくれてた。そのストイックさにうっとりせざるをえない。


とにかく、宮崎駿さんは偉大なんだなと思った。偉大。業績だけでなくて姿勢の面で。
とてもちゃんとしてる。頑固というより、ちゃんとしてるなーって思った。それは自分のためでもあるけど周りに見せるためだ。まず自分が背筋を伸ばして大真面目に真正面から全力で向かうこと。

「僕は長嶋監督や野村監督のようになりたくないんですよ、息子との関係において」

吾朗さんが監督をやることについて駿さんはわりと厳しいことをいう。

「ダメだね、ダメだと思います。わかんないんだと思う」
「監督ってそんなハンパな仕事じゃないんだって。追い込んで追い込んで、鼻血が出るくらいまで自分を追い込んで何がでてくるか。出てこないやつもいっぱいいる。出てこないやつの方が多い」

「わかんないんだと思う」というのは重たい。
フィーリングのようなもの、どうがんばっても言葉では伝達不可能なレベルってある。
スタイルが違うってわかってしまうことってある。思考の癖みたいなものでわりとどうしようもない。
で、ガツンと切る。「出てこないやつの方が多い」。
本人がいないところでダメ出ししまくる。「この絵はだめだよ、生気がない」。


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宮崎駿さんがそういうのもわかるんだけど、スタイルが違うんだろうけど、それでもわたしは宮崎吾朗さんは本当にすごいひとだと心の底から思った。
「偉大な父とそれを継ぐ息子」なんて簡単な二項対立にされてなくてよかった。
ドワンゴ川上量生さんがインタビューで言ってたこのあたりがだいすきです。

4Gamer
 宮崎吾朗さんは,メディアの露出もそこまで多くはないので,僕は純粋に分からないんですけど,端から見ていて思うのは,「勝ち目のない戦い」をしている方だな,ということなんですよね。
川上氏:
 そう。吾朗さんは,とても苦労している方なんですよ。全然,楽な道を歩んでない。酷い作品を作ったら「やっぱり息子は駄目だ」と言われ,良い作品を作っても「父親のおかげだ」とか言われる。彼はそういう道を選択したわけじゃないですか。
4Gamer
 勝ちの目が見えないですよね。普通は「やれ」って言われたら逃げちゃうと思います。
川上氏:
 正解がないルートを選んでしまっているんですよ。吾朗さんは。勝ちのカードがないゲームをやってる人なんです。でも,彼は周りに何を言われようとも,へこたれていない。前を向いて頑張っていますよね。
 もちろん,宮崎 駿さんほどの実績は残していないので,これからなのだとは思いますが,やっぱり宮崎 駿の天才性というのを受け継いでいる人だな,と思います。


4Gamer.net ― ジブリは決して続編を作らない有名ゲームスタジオのようなもの――スタジオジブリに入社したドワンゴの川上量生氏が見た,国内最高峰のコンテンツ制作の現場とは(このインタビューは全文すばらしいです)


誰が見ても偉大な父が今なお情熱を映画に向けていて、その同じフィールドで闘うって、ものすごいことでしょう。一度遠ざかろうと決めたのに、それでも戻ってきてしまったそのよくわからなさ。きっと自分でもよくわからないなって思ってる部分があるんだろうと思う。「勝ち目のない戦い」。
宮崎吾朗さんのつくる映像は、届かないものや才能へのあこがれとか迷いとかあきらめとかをちゃんと自覚してて、しかも作品に落とせている・出してしまっているんだよね。忙しい父と幼い自分を結ぶものが彼のつくったアニメしかなくて、ひたすらそれを体に取り込んでいたその枯渇感みたいなのが根底にあるのをなんとなく感じる。ドキュメンタリ見て、ああそうだったんだ、と思った。
だから同時にそこにイライラするひともいるのもよくわかる。控えめなわけではなくて…なんていうんだろう、遠い。見る位置が。
でも考えてみると、憧れや思慕のような感情は決してきれいなものではなくて、同じ土俵で前進するエネルギーに変換するよりその場所から逃げる言い訳にする方がずっと簡単だ。だからすごいなって。
それでも突き動かす何かがあって、負けず嫌いっていうのもなんか違う気がするし、闘わなければいけないのはもちろんその通りなんだけど、自分自身が宮崎駿の一番のファンなんだろうなって痛いほど思う。親子である前にファンというか。


絵コンテで作業が停滞する吾朗さんに対して、父はキービジュアルを1枚、ぽんと描いて渡す。
口出しされたくないから直接は相談しないんだけど、それでも世界観をつくってるのは自分だけではないから(脚本は駿さん)。
ポスターを描いたのも駿さんなんですよね。あのポスターは本当にいいなあ。とてもいい。
で、そこでは主人公の女の子が制服を着て前のめりに足早に歩いていく姿が描かれてるのね。
あまりにも雄弁なのですよ。1枚で。女の子のキャラクタと生活ぶりがわかる。暗さもあるんだけどけなげで明るくてさらっと努力してて姿勢がよくて凛としてる。
それでパッとスイッチがはいる。細かい表現が少しずつ決まっていく。細かいディティールからキャラクタに命ははいるんだね。


例えば冒頭。主人公の女の子は朝起きてすぐに、まだ妹が寝ている横でふとんをたたんで押入れにしまう。
髪を結って、階段を降りる。台所に立つ。お釜のごはんを確認する。朝ごはんの支度をはじめる。
ここで最初に「ふとんをたたむ」のがすごい大事だっていうの。それだけで全然違うって。「彼女なら」そうするって。


アニメの芸術性は「意図しかない」ところだよねえ、というのは以前も書いていて。
「コクリコ坂から」、彼女はどこへ。 - インターネットもぐもぐ
役者に頼れない。ニュアンスはつくるしかない。キャラクタに没入して、ある意味ひとり何役もしなきゃいけない。
原作も脚本もあるとはいえ、世界をつくるっていうのはすごいことだよね。神様だよね。Creator。


コクリコ坂完成試写会のあとの親子のやりとりがすごすぎて鳥肌たった。


「もっとおびやかしてみろっていうんですよ、僕を。それだけです」
って、宮崎駿がカメラに言う。その発言をテレビクルー伝手に聞いて聞いて息子・吾朗は、
「くそう、……死ぬなよ」 
とだけ言って、にやりと笑って足早に去っていくの。カメラの前を。


なにこれ。漫画かよ。すごすぎる。
あつすぎるよ。直視できないよ。


お互いに同じ方向を向いててでも違うアプローチをするしかなくて共通点も差異も痛いほどわかってて、どんなに苦しくても闘うのはひとりで、その孤独な道のりをちゃんと理解してて言語化されてない共通言語があって。
すごい世界だなあ。かっこいい。

「今ね、ファンタジーむずかしいんですよ。僕は難しいと思う。みんなが浮かれているときに終末が近いぞ、と言うのはファンタジーになるんですよ。今はそうじゃなくて、みんながもうだめだと思ってる時に何をつくるか。だから何かが終わったんですね。次のステップにはいったんです」

3月11日のあとはやっぱり別のエポックなんだなって話を宮崎駿さんはしてる。ジブリは挑戦し続けてるんだなあ。
時代性に流されずに時代を読んだものをつくるってすごい。

「作品つくってるときだけが生きてるときなんですよ。戦い続ける男であること」
「先頭を切って一生懸命やんなきゃ話になんない。死ぬ気でやんなきゃいけないんですよ。自分の人生のためにやるしかないんですよ。選んできたんだから、そういう風に。」

映画ってすごい仕事ですね、命削ってるね。
10ヶ月密着、なんだけど、まるで妊娠のようだと思った。300日で悩んで壊して迷って迷って迷って創り上げてく産物。