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インターネットもぐもぐ

インターネット、おなかいっぱい食べましょう




Facebookはやっぱり日本でいまいち流行らないと思う3つの理由

ここ最近、というかmixi meetupの前後から、Facebookが日本で「流行る」かどうかについていろいろ言われてる。
代表的なのはこのあたりでしょうか。
TECH SE7EN
Facebookは日本でも普及するか【ループス斉藤徹】 : TechWave


まあわからなくないし、業界に新しいものが出てくるほうがおもしろいとは思うけど。
なんかふつうの大学生として全部使ってる自分の肌感覚と違うんだよねえ…と思っていろいろ考えてみた。


うん、やっぱり、今のままじゃ、そんなに流行らない気がする。


今回はその理由の記事です。


1. 「英語」と社会的階層
前提として、実名か匿名か、は本質的な議論ではないと見ているので割愛します。
それ以外だと、インタフェースが英語だから使いにくい、という指摘も多いでしょうか。
でもこれはローカライズできるから別にだいじょうぶでしょう?という意見はあんまり意味なくて、
だって日本語にできるのって機能のボタンだけだもん。
流れてくる情報は英語のほうがずっと多いもん。
むしろ、英語で情報取り込まないひとは(現時点で)あまり動機が生まれないと思う。


では、同じように言語のハンディキャップがあるはずの、特にアジア圏の様子と比較してみます。
中国以外のほとんどの国でFacebookが主流な印象がある。
台湾の子はみんな四六時中見ているし(スマートフォンも多い)タイやベトナムの子も持ってる。
彼らの国の中でのいわゆる「いい大学」の「できる子」たちは英語ができるかつ他国に友達がいるケースが多い。
Facebookを使い始めるのは(おそらく)上の層、エリート層・お金持ち層から。
国境を越えて英語を使って不特定多数と近況交換するプラットフォームとしては最強だからね。間違いない。
英語圏メディアを日常的にウォッチしている子も多いので違和感なく使う。
で、どんどん下まで浸透する。階層的にも、年齢的にも。
ここまで来ると「みんな使ってるから」の世界。
比較的クローズドなかたちで使うようになる。ローカル言語の比率が上がっていく。
日本ではこの構図、あまり顕著に成立しない。
社会階層化が英語への親和性によって行われていない。
「英語をどれだけ自由に使えるかが知的教養レベルを示す」社会構造になってない。
わたしの周りでも、比較的国外との交流にインセンティブがないと使ってない。
それも、層としてごっそりFacebookを、というより、個人同士の絡み。
よってFriendsは外国人比率がそれなりに高くなる。
国内でユーザー層が落ちていく動線がない。


ちなみに、Facebookのアメリカでの最初の普及戦略のデザインもちょっと似ています。

その後のFacebookの拡大も、排他性と特権性をうまく利用したものだった。
ハーヴァード大学の会員数が飽和状態に達したFacebookは、まず同じボストン近辺の他のエリート校に対象を広げ、
次にそれよりややレベルが下がる大学、そして普通の大学一般、高校、最後に所属に関係なく誰でも参加できるようにした。
こうすることで、当初はハーヴァードや他のトップクラスのエリート校だけという排他性と特権性によって参加者を集め、
次にそれより少し下の階層の人たちに「エリートと同じところに並べる」という優越感を与えながら、段階的にユーザ数を増やしていったのだ。
つまり、Facebookは人々に米国的な「社会的上昇の物語」を疑似体験させることを通して、
実名登録制への抵抗を意識させずに、順次拡大していった。

macska dot org » Facebookの普及に見る米国の社会階層性と、『米国=実名文化論』の間違い


2. 東京が広くて狭すぎる
次に、Facebookアカウント持ってない人なんて見たことない!レベルで普及してるアメリカのことを考えてみましょう。
実際サンフランシスコで過ごしてみて思ったのは、彼らの交友関係って、ひとつの都市で閉じないんですよね。
転職が多いこともあるし、アメリカ自体「大都市」が多いから。
NYにもLAにもSeattleにもFloridaにも友達がいる、という状況がまったく特別じゃない。
大学が関西だったから関西にも友達がいるの、とか地元が九州だから、とかそういう縁や理由のある「離ればなれ」ではないのです。
転じて日本のことを考えてみると、“東京”のチカラはすごいです。
普通に会えるじゃないですか。遠くてもお台場くらいだものね!笑
地方はだめ、とかそういう問題じゃなくて、
限られた狭い場所に縛られた状態で築ける人間関係がものすごく広い。
オンラインに移行するインセンティブが全然違う。
じゃあなんでmixiはみんな使ってるんだよ、ってなるけど、それは明らかに動線の引き方が違うから。
関係を築いたひとを「承認」する意味でのマイミクと、
関係を続けたいという「意志」を示すFacebookは思考の順序が違います。


3. そもそも「流行る」ってなによ
最後に「普及」ってなんだ、ということを考えます。
例えばわたしの今の使用頻度はこんな感じ。


Twitter 
 2009年7月開始。毎日30〜50ポストくらい。ヘビーユーザー。
mixi
 2008年3月開始。高校卒業時。マイミクはほとんど高校の同級生。
 毎日(惰性で)ページは開くけどあんまり日記も見ない。ボイスも追ってない。
 近況報告として3ヶ月に1回くらい日記書く。
Facebook
 2008年に登録して1年くらい使って一度やめた。今年2月に再開。台湾の友達ができたから。
 毎日数ポスト。わりと見てるけど、Newsfeedだけ。アルバムはあんまり。。チャットは使う。


Facebook登録してるし毎日見てるし、アクティブユーザーには換算されてると思うけど、肌感覚だと全然アクティブじゃない(笑)。
だって、明らかに、写真と動画がコミュニティ作りの中核なのだ。
仲間内の写真にコメントをつけあったりするものなの。
全然オープン性ないよ!むしろ、内輪盛り上がりが大事なのです。
「内輪」な関係がいろんな種類あるってだけです。同級生も職場も。
英語メディアの情報取り込んだりShareとかLikeがわたしのメインだけど、むしろインタフェースとしてはサブです。
コミュニケーションとしては明らかに視覚メディアが媒体です。文字じゃない。
で、このコミュニケーションができないとみんなが狙いたい「アクティブユーザー」にならないと思う。
頻度高くログインする、アプリもチェックする層。広告の対象になる層。
Friend申請も気軽にするし別に隠しているわけでもない、
でも人の写真は見るけどあくまで流れてるものを拾いあげてみるだけ、の層がたくさんいる。


アカウントが増える、トラフィックが増える、が「流行る」の示しているものじゃないわけでしょう。
情報流通量が増えないとだめなんだよね。
日本でFacebookが流行るとしたら、いまTwitterやってる層がガッツリ使い始めることだと思うんだけど、正直わざわざ使う理由ない。
これを使えば便利、ということがあるわけでもないし。はてブ×Twitterでできちゃってる。
そして明らかに文字コミュニケーションだから。
写真や映像を核に置くタイプのやり方はまたちょっと違う。「リア充」要素を含んだもの。
何度も言ってるけど、Facebookは”fun”を突き詰めたもので”interesting”にはなりえないように思うのです。


かといって、mixiに滞留している層をいきなり取り込むのは多分難しい。
そこに話題がないから。自分で取りに行かないとFeedとして流れない。
mixiニュースを引用して日記、という機能はかなり本質的なポイントだと思う。
トピックが提示されるかたち。ある意味2ちゃん的というか。掲示板に近い。


結論。
だからもう鍵は、“国外の交友関係の有無”に絞られているように思う。
でもこれ、そんな短いスパンでどうにかなる気がしないよね。
期待したい気持ちもすごくあるんだけどなあ。
Twitterともmixiとも違うかたちですきだけど、すきになりきれない感じもある。