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インターネットもぐもぐ

インターネット、おなかいっぱい食べましょう




なぜわたしは「国際〜」に興味がないのか本気出して考えてみた

※2009年10月09日のmixi日記のミラー。
ちょっと考え変わったところもあるけどこれはこれで、なので原文まま載せます。


表題の通りです。
もうね、ぜったいぜんぜんおもしろくないから、
それは保証するから、読まなくていいよww
しかし、意見はほしい。
このへんを勉強してる人は、わたしに面白さを教えてほしい。


この前ともだちと夕ご飯食べながらもうっすら考えてて、
そのあと夜中に電話でなぜかその話になって、
俺もあんまり興味ないんだけど、他の人の話を聞くとね、という話を
延々と1時間くらいしていた。


政治とか経済の動向とかはわりとすきなのに、
なんで「国際」になると興味がなくなってしまうんだろう。


まずは単純に、自分と遠すぎてでかすぎて想像がつかないの。
丸め込まれている感じというか。
まぁそういう考え方もできるよね、という見方で終わってしまう。


しかも、すきに関係付けられるじゃんね。
当たり前だけどいろーーんな要素があって、
その中から恣意的に抽出して比較検討分析するわけだよね。
そもそも研究という行為はそういう行為が前提だし、真髄だけど、
広い次元のことを扱うといっそう歪みが大きくなるんじゃないかなあと思って。


それから、これ最大かもしれない。
国もしくは組織が主語なのがものすごい違和感なんだと思う。
「アメリカは〜を決定した」とかいうときの、
「アメリカ」という主体が意思決定することはありえないでしょう。
それは、国の決定として確立する前にいろんな動きが「国内」であるわけだよね。
そうすると、「国際」を考える前の段階が絶対に必要になって、
「国際」の学問の前提はなんだろう?っていう問いになっちゃう。
「国際」をやることはものすごく短絡的にいうと比較をするということなわけで、
比較のためには何かひとつをきちんと捉えられていないといかんわけでしょ。
なら、日本のことをもっと勉強しなきゃっていう風に、わたしは、いくんだ。そうだそうだ。


あとは、理論が先行するでしょ。
デモクラティック・ピースという考え方、わたし今まで知らなかったんだけど、
ものすごく、アメリカとヨーロッパの人が考えたんだなーという感じだよね。
民主主義を理論的に正当化してるわけでしょ。
で、その理論を武器にするわけでしょ。「国際的」な関係の中で。
それって…なんていうか、現実を理論で先回りしようとしてるんだよね。
結局、「国際〜学」の社会的アウトプットがどこになるのかよくわからない。
というか、社会的に役に立たないならそれはそれで潔いと思うんだけど(哲学の研究とかさ)
国単位の関係の話になるとイデオロギーが絶対に関わるじゃん。
必ず、どこかに寄らないと話が展開できないわけで。
それって危ないよね。


でも、あーそうか、と思ったのは、
理論は視点として作られていってよくて、
それを後続者が批判したり活用したりしていくから、
別に絶対的な手段ではないんだって。


SFCの先輩が、今すでに確立されている理論を、現代の構図に落とし込んで
再構築するっていう試みをやっていたと聞いたけど、それならなんとなくわかる。
あーそれは意味があるかもって。
アップデートしていくものとして捉えれば、少し意味がわかるなぁと。
余談だけど、先行研究のほぼ100%が英語らしい…そりゃ大変だ


国同士の関係をシステムとして捉えて、扱うのは面白いんだろうなあ。
しかしまだよくわかんない。
繰り返すけど、結局は、各国内の意思決定の問題だと思うから。
で、それは「国際」の手前な部分が気がするから、だと思う。


はあ、入学してから深く考えてこなかったけどだいぶ言語化できたかも。
もう少し考えようっと