インターネットもぐもぐ

インターネット、おなかいっぱい食べましょう




「アウトプット」としてのソーシャルジャーナリズム

とりあえず未完成でも、書いて公開した方が
いい意味で流れに巻き込まれることができるかなと思うので、書く。


NHKスペシャル「マスメディア崩壊」に関して - 女。MGの日記。


この記事しびれた。
すごくうれしい。
わたしが最近考えていたことと似ているので、インスパイアされて書いてみます。


「ソーシャルジャーナリズム」の可能性。
まずは抜粋。

まず参加者は、15〜35歳の若者を想定。

知的教養レベルの高い大学院生や、ツイッターでフォロワーを多数有す若者が中心に

「本気で日本を考える、世界での日本の立ち位置を考える」記事および、番組を制作する。

記事や番組制作の当事者には、年齢制限を設けるものの、これはあくまでも、
「若者の世論を形成する」というメディアの名目があるからであって、
取材対象は、おもしろい考え方をもつ上の世代でもぜんぜんOK。

むしろ、20代の50代のコラボとかマジでおもしろい企画になると思う。

20代でも驚くべき保守頭脳を有す人たちがいるなかで、50代でも驚くべき斬新な発想を有す人たちも多い。

是非そんな20代と50代をつなぐコンテンツができればおもしろくなる。


そもそも私がソーシャルジャーナリズムに注目した背景には、20代で勉強もちゃんとして、
行動もちゃんとできる層が結構でてきてるんじゃないかという身の回りの人々の観察による。

20代中心に、若者の世論を創るジャーナリズムってもしかしたらおもしろいかもしれない、そういう思いがある。


と同時に、日本を本気で考えている、世界に日本の価値をアピールできる若者がところどころにいるのに、

なかなかそれが可視化されていないので、そういう人々を同じメディア上で可視化すれば、おもしろいんじゃないという思いもある。

世論のゆくえ

なんでもかんでもTwitterにつなげちゃう最近の流行はちょっと嫌気がさすけど、
それでもわたしはこのおしゃべりの場所にものすごく可能性を感じているし、信じてる。


うまくいえないけど、真に外向きのツールを手に入れた感じがした。


ものごころついたときからパソコン触ってきたけど、
小学生の時にネットバブルがはじけて、
「ネットは危険だから気を付けなさい」ってことばかり叩き込まれて、
いいところより悪いところの方がずっと多いような風潮で言われてきた。


情報の価値が高い低いじゃなくて、流れる量が増えるんだよ、と思ってた。
ひたすらインプット。毎日ものすごい量の文字を、わたしはディスプレイで読む。
感じる疑問も意見もある。消化しきれないまま毎日を生きる。


いろいろな場所で言ってるけど、わたしがはじめて、Twitterすごい、と思ったのは去年の夏の衆議院選挙のときだ。
"#senkyo"のハッシュタグをひたすらリロードしてた。テレビの開票速報よりずっとおもしろかった。
そこで繰り広げられてる言説は、事実も解釈も、未来に向けての意見も、ごちゃまぜ。
ものすごい速さで頭に浮かんだものが文字になって浮かんで消える。まさしく流れる。
そうか「世論」というのはこういうものなのかな、と肌で感じた。
もちろんテレビを見ながら書いている人が多いんだろうけど、
こうやってみんなが出口を持つようになれば、「世の中」が考えるプロセスが変わるんじゃないか。
マスメディアはもはや「インプット」のツールなんじゃないか。
その先の「アウトプット」に何を見るか。


記事中では「ソーシャルジャーナリズム」という言葉が使われているけど、
わたしが考えていたのはもっと素朴なことで、
「最近の若者は世の中に関心がない」っていうのはなんなの?ってことだ。
誰がそんなこと言ってるの?と、太古から続く「若者論」にあえてつっかかる。


だいたいそもそもね、人口が少ないんだから、最初から不利なんだよ。
そのうえ権威も地位もないんだから、そっち側から語られちゃ終わりだ。試合になってない。
わたしは自分の周りで尊敬出来る人がたくさんいるし、
みんなよく勉強していて(アカデミズム的な意味だけでなくて)本当にえらいと思う。
たくさん考えてるし、よく見ている。


「若者」のチカラを見せつけようなんて言う切り口は逆差別的と言うか、買いかぶりすぎだとわたしは思う。
いいじゃん、「わかってない」。だから知りたいんだよ。シンプルな話。
そこに飢餓感はあってもコンプレックスはないのだ。

世論のありか

自分がこうしたらおもしろいんじゃないかと考えていたのはこんなかたち。
記事中でも言及されているけど、お金を介入させるというのは本当に大事だと思う。

  • 取材協力的な意味の「投げ銭
  • 成果物の売値

を考えてる。
ここも、なにかアイディアあったらください。


大テーマは「2010年代を考える」。
その中で小テーマを設定。
なんでもいいと思うけど。ネット連動的なものとこの記事書くきっかけをを考えると、
ジャーナリズム、マスコミの解体、出版とかはあついんだろうか。
テーマ自体も応募を受付てもいいかもしれない。
この先10年の変化を考えることならかなり地に足がついた状態で戦えるんじゃないかなと思った。


なぜそのテーマに興味を持ったのか、の原体験を字数指定で論考させる。
なんらかのオープンなかたちで投票、選抜。
この時点である程度バックグラウンドを共有しているという前提。

人を集めてなにかしようってときにいちばん大事なのは原体験だと思う。
本人の中に一貫したストーリーがあると納得できること多いし、応援したくなる。
「夢を語る」際に地に足がついてるかどうかってその明白さだと思う。


チームで取材、編集会議だってUstしたらいい。
取材企画書みたいなものもWEBにあげてフィードバックももらう。
専門家に訪ねに行って概論をまとめる、というかたちはまったく目指してなくて、
浮かんでいる多くの意見を吸い上げて代表して取材する、というスタンスだろうか。


最終的なイメージとしては「責任編集」のムックみたいなもので売れるようにする。
なんとなく、紙でかたちにしたほうがいいかなというのは直感的に。
ブログもサイトも、インターネットで場所を持つことは基本的にはテリトリーを作る行為だと思う。
Twitterはそのテリトリーの垣根をさげたのがすごい)
いい意味でひとりあるきするにはあんまり適さないツールでは、というわたしの所感。


できあがった何かを「テキスト」にして、最終的にイベントをやりたい。
このへんのイメージは固まってるようで固まってない。。
毎日のようにいろんなトークイベントが開催されているけど、
話すだけというのは論点が散漫になりやすいからとても難しいのだ。
だから仮にもテキストという定型化した事前共有がなされているともっとクリアになるのでは、と。

場を作ること

ジャーナリズムの背後には顔の見える人々が集うコミュニティがあること。
そこに集う人々が単なる情報消費者ではなく、生産者であり、社会への行動を行なう行為者であること。

うん、大事なのは「周辺」をいかに広げるかだと思う。
今、社会起業とかプロボラがにわかに盛り上がっているのは、誰かの「周辺」になりたい人が多いんだと思う。
そりゃそうだ、誰かを応援するという行為は、単純だけどすごく嬉しいし、自分にも励みになる。


今年はすごい1年になるんじゃないかな。いろんなところで動きが起こってる。
わたしが大学を卒業するころにはどうなってるのか。想像つかないな。
わたしは日本がすきだし、ポテンシャルはすごくあると思ってる。
ただそのエネルギーをつなぐプラットフォームの問題じゃないの? もっと多ければいいのに、と思う。
おもしろいことや、これはいいなぁと思えるものにお金が流れる社会はどうやったらつくれるのかな。


The best way to predict the future is to invent it. - Alan Kay
(未来を予測する一番よい方法は、自ら未来を創ることだ)


基本的に楽観論で書いたし、勢いなので自分で読んでも穴があるなと思う。
あえて荒削りな状態で公開するので、ぜひコメントください。
お読みいただいて、ありがとうございます。感謝を。

広告を非表示にする